ハモコミ通信2011年7月号「リスクを避けるリスク」・「際ということ」

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震災で気になったこと その1

 震災は数々の教訓や思いを与えてくれてました。いや、今も続いていますね。そんな中で私が気になっていることをいくつかご紹介させていただきたいと思います。

 

■◇■ リスクを避けるリスク ■◇■

「今回の地震と津波は想定外だった」

 政治家も官僚も企業家も、一様にこの言葉を使い、マスコミはこぞって噛みつきました。「想定外とは何事か」と。ではマスコミはどの程度のことを想定していたのでしょうか?

 そしてこれからの新しい枠組みづくりにあたって、「リスクを避ける」という言葉が頻出しています。もちろんとても大切なキーワードだと思うのですが、同時に「リスクを避けるリスク」も存在することを忘れてはならないと思うのです。あるいは「リスクを避けることによって失われる利益」ということを。

 ある方から紹介された1冊の本。毎日新聞社編集委員の小島正美氏著「誤解だらけの危ない話」の中には、とても興味深い実例がたくさん掲載されています。

 例えば保存料を使用してないおにぎりと使用しているおにぎりのどっちが安全か?という話だったり、遺伝子組み換えのトウモロコシと有機農業の虫食いトウモロコシとどっちが健康上の影響が大きいか?など、とても興味深いものがあります。

 とても紹介しきれませんので、興味のある方は著書をお読みいただくのが一番ですが、弊社HPにその一部の抜粋を掲載しております(「壱岐産業」で検索)。この激動の社会、冷静に見極める目を持っていたいものだ、と強く感じています。

 

■◇■ 「際」ということ  ■◇■

 国際、とか瀬戸際など、際(きわ)という言葉がありますね。これはある線を境に、あちら側とこちら側を分ける、まさにその線を指しています。

 震災直後から今に至るまで、電気・ガス・水道・警察・消防そして自衛隊・市民ボランティアなど、遠くの県または隣県から、実にたくさんの応援隊が駆けつけてくれました。アメリカ軍やフランスの放射線専門家も大活躍でした。県や国といった際を越えて。本当にうれしく頼もしく感じたことです。

 さて、地球市民という言葉がありますね。みんな同じ地球に住むひとりの市民。お互いの間に際がないというのがその言葉の意味でしょう。自分はこの言葉に憧れを感じ、本当の意味でそうありたい、と思ってきました。

 地球市民思想には名古屋市水道局だったり、滋賀県消防署だったり、そんな区別はないはずなのです。同じ地球の仲間だから。でも、実際はあちらは名古屋、こちらは仙台。あちらとこちらを強く意識しました。やっぱり際はある。自分はいったい何者か?ということを意識したのです。

 際があまりに強すぎると、お互いの違いにばかり目が行ってしまい、比較によって優越感やら不満やらが増長され、争いの気持ちのタネが芽生えてしまいます。

 地球に生きているという全体意識と、地域や団体の一員であるというコミュニティ帰属意識と、両方の程よいバランスというか、自由に行き来できる感性が大事なんだろうなぁ、と感じたしだいでした。

 

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震災復興のシンボル2

 震災後しばらく、仙台の街の至る所、路上駐車があたり前のようでした。取り締まりも大目に見られていたようです。

 ところがつい先日。お恥ずかしながら駐車違反のシールが貼られてしまいました。その時は、復興の証かな?な~んて余裕で受け止めたのでした。

 反則金の支払いをするため銀行の窓口で順番を待っていた時、ふと嫌な予感がして窓の外を見てみると・・・。

 なんと、月末で混んでいて駐車場に入れられず路駐していた私の車の後ろで、駐車監視員の方2名が時計を見ているではありませんか! OH!こりゃ洒落にもならん!と猛ダッシュ。おかげさまで間一髪ギリギリセーフでした。

 嫌な予感が当たるっていうのも、復興の証でしょうか?

 

2011.07.04:壱岐産業:[事務局ノート]