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相手を理解する
ふきのとうの天ぷらが食べたい! もうすぐそんな季節の到来ですね。皆さんは何で春の到来を感じ始めますか? 日差しの明るさ? 木の芽のふくらみ? 鼻のムズムズ?いずれにしても北国人としては待望の春。今の内に毛穴を縮めておいて、暖かさを満喫しましょうね。
さて先月号で、相手との関係性構築を信頼残高という言葉で表現していた「7つの習慣」という本を紹介させていただきました。信頼残高を増やすための6つの方法は以下のとおりでしたね。①相手を理解する ②小さなことを大切にする ③約束を守る ④期待を明確にする ⑤誠実さを示す ⑥引き出しをしてしまったとき誠意をもって謝る
これら6つのことは、どれをとっても奥行きの深いもの。そこで、さらりと流さずに、私なりに深く考えてみました。今回は「相手を理解する」について。
理解されているな、って感じるときってどんなときでしょうか。まず土台としてお互いの関係が友好的であることと、理解しようという姿勢が感じられることが必須ですよね。そして一方向からだけじゃなく多面的にわかってもらっている、と感じられることでしょうか。他には、言葉には表れないちょっとしたサインを見逃さず、タイムリーでさりげない気遣いがあったりすると「理解されているなぁ」って感じるといいます。
また、お互いの関係が近ければ近いなりに、理解してほしいという期待も高くなります。そうなると、深い感情移入まで加わらないとかえって理解されていないととられてしまうかもしれません。つまりこれでいい、というこちら側の都合では深い理解は難しいということでしょうか。
自然な気遣いが備わっている人はいいのですが、私の場合、ついつい自分のことばかりで、相手を理解するという大切なことを見落としてしまうことがしばしばです。意識的に余裕をつくって周りを見渡すようにしているつもりですが、反省の多い毎日です。
松任谷由美さんの「春よこい」という曲の詩の中で、「眼差しが肩を抱く」というフレーズがでてきます。究極の理解はやはり「愛」ですね(テレテレ)。
ハモコミ通信2005.3
2005.03.01:壱岐産業:[事務局ノート]