生活に取り入れたり、仕事で生かすなどしていただけると本望です。
◎損の極致(ハモコミ通信2017年6月号②)
鎌倉時代の武将・青砥藤綱の逸話が『太平記』に記されています。
ある夜、藤綱が滑川を渡っていた時、誤って十文銭を落としてしまいました。これを拾うため、家来に松明(たいまつ)を五十文で買ってこさせ、その灯りで探したのです。
「十文拾うのに五十文使うのは、なんと無駄なこと」と周囲は批判しました。
対して藤綱は、「たとえ十文の銭でも、探さなければ天下の貨幣は永久に失われてしまう。いま十文銭は手元にあり、松明を買った五十文も商人の手から流通して世に役立つ。
わせて六十文の銭に何も損失はない」と説いたのです。
「損して得取れ」「損せぬ人に儲けなし」とは、現代でも聞く話です。企業は利益ばかりが出るものでもなく、損失だけが増えるものでもありません。
金銭にしても何にしても、「損をした」という思いでいると、自分の気持ちまで沈んでいきます。それこそが「損」の極致とも言うべきものです。
「物の損得は天の配剤」と捉え、短絡的・部分的な損得に流されず、長期的・全体的な視点で物事のバランスを考えていきましょう。
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<コメント>(2017年当時のものを抜粋)
あまり有名とは言えない武将の逸話を発掘し、「損の極致」というテーマにつなげていくこのコラムニストの芸術性に感服しました。
十文銭のために五十文を費やすことについては、藤綱の説明を聞いた後でも賛否の意見は二分することでしょう。
いずれにしても、藤綱には筋の通った信念があったため、その決断は速やかだったに違いありません。
さて、タイトルの損の極致。 「損をした」という感情をずっと引きずる損失は計り知れない、という点は大いに共感できるのではないでしょうか。
マイナス感情が湧いてくるのは日常茶飯事。恐れ、怒り、悲しみ、ねたみ、憂い、不足不満の心・・・。そのことそのものはコントロールできないでしょう。
「マイナス感情が湧いたらサッと切り替える」ということを信念レベルにしておくこと、心の習慣にしておくことが、損を最小限にとどめる秘訣と言えそうです。
◎問いを発する(ハモコミ通信2017年1月号②)
ライターの地主恵亮さんは、会社を解雇された無職時代に、インターネット上のサイト「デイリーポータルZ(ゼット)」に投稿を始めました。
そこでの様々な記事が話題を呼び、後に書籍化された企画もあります。その一つが、「30年前のガイドブックに載っている店巡り」です。
地主さんは、30年以上前の古ぼけたガイドブックを手に、街の洋食屋を訪ね歩きます。たいてい別の建物に変わっていますが、痕跡があれば記録します。
もし、今も変わらずに店が残っていると、「現在も残っているなら美味しい証拠」と、その店に入って食事をします。
そうした過程を綴った記事からは、昭和時代から変わらない店の安定感と共に、大きく変貌(へんぼう)した町並みの様子も伝わってきます。
普通は、古くなった情報に意味などないと思ってしまいがちです。
しかし、不要なものに価値を見いだし、新たな楽しみを見つける感性に倣(なら)って、「古くなったものは捨てる」以外の選択肢を見つけてみませんか?
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<コメント>(2017年当時のものを抜粋)
これは目からウロコですね。30年以上前の情報誌に意味を見いだすとは!
人の脳は、まず先入観という「ふるい」にかけ、必要なしと判断するとそれ以降の入力を遮断しますね。
情報は新しいものにのみ価値がある、という自動思考は誰もが普通に持っていると思います。
新しい発想は、これまでの常識を疑ってみるところから、とよく言われます。 そう考えると、新発想のタネはありとあらゆるところに眠っていそうです。
弊社でも取り入れている『ひらめきメソッド※』では、常識を超えた「ひんとカード」が多数用意されています。
「それもありなら、これもありか?」という自由な発想を今後も育んでいきたいと思っています。