甲子(きのえね)の大黒さま
甲子(きのえね)の大黒さま
ログイン
メモ
写経法話体験
現代はとかく時間に追われる生活です。寝不足気味で起きたと思ったら、あっという間に暗くなってしまいます。休日といっても、なかなかのんびりはできないのではないでしょうか。私達には静かに流れる時間が必要なのだと思っています。日常の生活では時間があってもテレビをつけてしまい、静かな時間を阻害してしまいます。現代社会にあっては静かな時間を求めようとすれば、日常から離れた非日常の世界を目指さなければならないのかもしれません。
お寺の雰囲気などはまさに非日常の世界です。そういった雰囲気のなかで静寂に身をゆだねるのもいいものです。そういった時間を持つことによってストレス社会で疲れた心を癒すことができるのではないかと思うのです。
そして、私達には忙しい生活のなかで棚上げしている様々な思いがあるはずです。いつも頭の片隅にありながら、なかなかふれることのできない自分の思いに気付けるのも静かな時間のなかでこそなのです。まさに静寂のなかで自分と対話をするわけです。人生を考える楽しみこそが、大人としての上質な時間なのではないかと思うのです。
今年の4月から当山では写経法話体験を実施いたします。法話にて書いていただくお経を解説してから、写経をしていただきます。そうすることによって、より写経に親しめ、いろいろなことを考えるきっかけになるのではないでしょうか。非日常の世界で心おだやかな時間を過ごされてはいかがでしょうか。機会がありましたら、ぜひ体験してみてください。
写経法話体験
場所 小野川温泉 甲子大黒天本山
受付 午前9時より午後4時まで随時受付
人数 お一人様より
所要時間 約40~60分
御奉納金 1,000円
問い合わせ 電話0238-32-2929
2008.04.01:
hs-1119
:
コメント(0)
:[
メモ
/
自分との対話
]
お知らせです
いつも、ご覧いただきありがとうこざいます。今までこのブログに様々な記事を投稿してきたのですが、「甲子の大黒様」という名前を付けながら、個人的なことばかり書いていたように思います。そこで、今後このブログは甲子大黒天や小野川温泉の情報を中心にしていきたいと思います。また、今まで書いてきた私の個人的な記事は別なブログに移らせていただきたいと思います。
新しいブログのアドレスは
http://d.hatena.ne.jp/buddhist/
です。
坊主のブログ
という名前です。今後とも二つのブログをよろしくお願いいたします。
2007.07.13:
hs-1119
:
コメント(0)
:[
メモ
/
自分との対話
]
揺れながらも
現代人は優越感と劣等感の狭間で揺れながら生きているのかもしれません。自分のコンプレックスを埋めるべく努力するのではなく、
コンプレックスと同等の自尊心を持ちバランスを保とうとしているのかもしれません
。
しかし、
具体的には何も変わらずに優越感と劣等感を行き来しては、そんな自分がどうしようもなく嫌になり疲れてしまうのかもしれませんね。
「友達がほしいvsつまらない連中」とか「認めてほしいvsバカには理解できない」さらには「一緒に笑いたいvsレベルが低い」と弱い自分を優越感で守っているのかもしれませんね。
誰よりも寂しいのに無関心という仮面を被り続けているのかもしれませんね。
自分の心にあいた大きな穴を優越感で埋めようとすれば、自分の弱さを見失ってしまいます。
今の苦しみが自分の弱さに起因していることを知らずに、苦しみの原因を求めてさまよい歩くことになってしまうのかもしれません。
まわりの人間から完璧を求められながら、誰もが自分の弱さと格闘しながら生きているのではないでしょうか。私達は自分の弱さをまざまざと見せつけられる現代社会で生きているのですから。人間は完全ではないのですから、欠点があり弱さがあってあたりまえです。
そのことを他の誰でもない、自分自身が認めてあげなくてはなりませんね。
自分の弱さと手をつなぎ生きていきたいと思います。
今日の写真
橋の上から撮った写真です。川はつねにうねりながら流れ続けます。私達もまた様々な感情の渦で揺れながら生きているのでしょうね。それが偽りのない人間の生活なのでしょう。ですから、その感情をうまく導いていきたいものですね。
2007.06.07:
hs-1119
:
コメント(0)
:[
メモ
/
自分との対話
]
私という存在
最近は雨の日が続いています。雨が降ると外出するのも億劫になってしまいます。ですが、地球上にある水の約97%は海水で、私たちの命を支える雨となって降り注ぐ水はわずか3%なのだそうです。雨の多い日本に住んでいると雨のありがたさになかなか気づけないのかもしれません。
一滴一滴の雨が大切なように、私達人間も一人一人が大切な命だということに、なかなか気づけないのかもしれません。
私はこの世に必要だからこそ今こうして生きているということに、自分自身もまわりの人間も実感が持てないのかもしれませんね。
家にいれば家族のためになり、仕事をすれば社会のためになる。
何気ない一日の生活が他の誰れでもない、自分にしかできない役割なのだと思えれば幸せです。
自分の存在理由をいかに頭で考えても証明できないことでしょう。日々の生活の中にこそ存在理由があると思うのです。
「こんなに頑張っているのに」と思えば思うほど、無関心なまわりの人間に苛立つこともあるのかもしれません。人間はあたりまえの日常の中にあるなくてはならない大切なものに、なかなか気づけないものです。感謝されることなく流れ続ける水のように、
私も「誰かのために」という思いを忘れずに、自分にしかできないであろう役割を淡々とこなしていきたいと思います。
私という存在が誰かの役に立つことを願いながら。
今日の写真
雨上がり、外に出てみると植物の葉に忘れ物のように雫が残っていました。この小さな雫が集まり川となり海へと続いていきます。人間も大勢の中では小さな存在となってしまいますが、一人一人がこの雫のようになくてはならない存在なのだと思います
...もっと詳しく
2007.06.02:
hs-1119
:
コメント(2)
:[
メモ
/
自分との対話
]
不自由な心の解放
快楽に忠実であれとまでは書けませんが、今は自由に思いのままに生きることが許されている社会です。グルメ、旅行、趣味、服装、思想など自分なりのものを求め楽しむことができます。それなのに無気力の暗雲が立ちこめているのはなぜでしょうか。
「つまらい」とか「しらける」という言葉をよく耳にします。本来、若ければ若いほど好奇心旺盛なはずなのですが、どうもそうではないようです。
なんだか自分の心を圧し殺して生きているように思える人が多くなったように感じてしまいます。
喜怒哀楽をさらけ出し、一生懸命に自分の信じるものを追い求めることが自分に対して、正直でいるということなのかもしれませんね。
生活スタイルは思いのままなのに、自分の心は不自由だというのでは本末転倒のような気がします。
自分に対して不正直に生きることは、何よりも辛いことだと思うのです。
自分の心を圧し殺して溜めに溜めた感情が爆発して起こる、悲惨な事件がたくさん起こっています。これからの時代に求められるのは物質的な満足よりも心の充足なのではないでしょうか。自分の心を解放し、いつも思っていることを我慢せず口に出し、
もっと自分に対して楽に正直に生きていきたいと思います。
今日の写真
終わりかけなのですが菜の花の写真です。植物は動くことができませんから不自由そうなのですが、実際は動く必要がないだけなのかもしれません。私達人間は心身共に自由に動き回るために感情があり手足があるのでしょう。ならば思いのまま自由に生きていきたいものですね。
2007.05.18:
hs-1119
:
コメント(0)
:[
メモ
/
自分との対話
]
親学に思う
親学という言葉が登場しました。その内容を読んで「ここまで来てしまったか」というのが率直な感想です。人として生を受け大人になったならば、自分が育ててもらったように子供を育てる。この自然の営みに資格や適性が問われることはなく、誰もがあたりまえにおこなってきたことでした。しかし、ここにきて自分勝手に子供を育ててもらっては困るからとマニアルが登場したわけです。政府が家庭生活に介入すべきか否かの議論よりも、ここまでしなければならない時代なのだという危機感を持たなければならないのかもしれません。
私の住んでいる市の「子ども憲章」の一部を掲載します。
1、善悪の区別がわかり、正義を愛する心を育てましょう
1、他人の迷惑や痛みがわかり、おもいやりの心を育てましょう
1、自分の夢や目標をもち、絶えず努力する心を育てましょう
この憲章にある「育てましょう」というのは
誰が育てるのでしょうか
。学校で問題や事件が起こるたびに教育委員会や教師が責め続けられてきました。しかし、
学校には任せておけないから人間的な教育は家庭でおこないましょうという気運が高まることはありませんでした。
今回の親学は、その第一歩なのかもしれません。親は学校に子どもの教育を任せ、学校は躾は家庭でと、いわば子供の押し付け合いをしていたのかもしれませんね。地域は子育てに介入できずに、
社会の中で子供が放置されていたのかもしれません。
子供の社会生活は幼稚園から始まります。
良くも悪くも子供はまわりの子供から強く影響を受けるものです。
幼稚園に通うようになり、教えたことのない汚い言葉を使うようになったり、急に行儀が悪くなったと感じることがあるかもしれません。お受験のある一部の幼稚園を除けば、保育料や保育時間を選べても、同級生の子供を選ぶことはできません。
だからこそ、すべての子を持つ親が子育てについて真剣に考えなければならないのかもしれませんね。
ファミレスや映画館など親子連れの集まる場所にいきますと、そのことを強く意識させられてしまいます。
いかに学校を改革しようとしても成果をあげるのは難しいでしょう。大切なことは子供達ではなく大人達が「子ども憲章」にあることを実践することなのかもしれません。自分にできないことを子供に伝えることはできないのですから。
教育改革とは子供の問題ではなく、私達大人の問題なのかもしれませんね。
今日の写真
少し前の写真なのですが、木蓮のつぼみです。今はもう咲き終わり散り始めています。本当にあっという間に時は移ろいゆくものですね。子供もあっという間に大きくなっていきます。だからこそ手をかけられる時期を大切にしなければならないのかもしれませんね。
...もっと詳しく
2007.05.12:
hs-1119
:
コメント(2)
:[
メモ
/
自分との対話
]
いつまでも新鮮さを
今更ながら消防団に入り、消防の辞令交付式に出席してきました。なんだか久しぶりの緊張感が心地よかったように感じました。大人になれば初心を得る機会がなかなかないものです。ですが、
気持ちを新たにすることも大切なことなのではないでしょうか。
一週間・一ヶ月・一年という区切りも気持ちを新たにするために作られたものなのかもしれません。
たとえ自分が願った生活でも、その環境に長くいると人間は平凡さに息苦しくなることがあります。
長い年月が新鮮さを奪っていき、あたりまえの生活に我慢できなくなることもあるのかもしれません。人間は総じて飽きっぽい性質を持っているのかもしれませんね。
毎日の生活に飽きてくると、その生活を破壊したいという衝動に駆られることもあるでしょう。
「あの人がなぜ、あんなことを」というニュースは、もしかしたら平凡さに我慢できなくなり、誤った刺激をを求めた結果なのかもしれません。
平凡の対極にある
非凡とは、あたりまえのことに感謝や努力のできることなのかもしれません。
日々の生活に飽きてきた時、私たちは大切な何かを見失い欠けているのかもしれません。失ってはじめて気づく大切さ、それを取り戻すのは大変なことです。
いつまでも色あせない初心を生活の中に持ち続けたいものですね。
今日の写真
名前の分からない花が道端に咲いていました。散歩をしていると土の匂いがしてくる季節になりました。春は意味もなく心がおどるワクワク感があります。そんな気持ちを大切にしていきたいと思います。
2007.04.17:
hs-1119
:
コメント(0)
:[
メモ
/
自分との対話
]
自分の部屋を眺めて
誰かの部屋にお邪魔させていただきますと、その人らしい個性で溢れているものです。下手に会話をするよりも部屋を見せてもらった方が、その人を理解できるような気がすることもあります。
アルバムや文集があると思い出を大切にする人なのだろうと感じます。マンガの並ぶ本棚に詩集や哲学書がひっそりと置いてあると、教養や知性といった思わぬ一面をかいま見たような気がするものです。コカコーラなどのおまけを集めているのを見れば、なんだか微笑ましくもなります。釣り竿やカメラなどが置いてあり、程々に趣味の話を聞けば感化されたような気にもなります。並んでいるCDに自分の持っているものがあれば、なんだか親近感が芽生えます。
初対面で話しをしても、なかなか相手を理解するのは難しいように思います。ところが、
その人の部屋に入れば不思議となんだか身近に感じれるようになるのかもしれません。
それだけ部屋というのは、その人をあらわすものなのかもしれませんね。大人になれば誰かの部屋にお邪魔する機会も少なくなるのですが。
いつも生活している自分の部屋を眺め回してみるのもいいかもしれませんね。
熱くなれるものがあるか、楽しくなれるものがあるか、癒してくれるものがあるか、
自分の部屋に漂っている雰囲気が、そのままその人の雰囲気なのかもしれません。
自分の部屋から、つねに自分が放っている雰囲気を感じることができるかもしれませんね。また、部屋をいじってみると自分の雰囲気を少し変えることができるのかもしれませんね。
注、部屋にお邪魔したときにあまりキョロキョロすると変に思われるので気をつけましょう。
今日の目標
あらためて自分の部屋を眺めてみましょう
今日の写真
小野川温泉の朝日です。ここのところ黄砂の舞う日が続いているのですが、朝はなんとも言えない清らかな空気で満たされているように感じます。そんな空気をお腹いっぱいに吸うと、今日も一日頑張ろうという気持ちになれるから不思議です。
2007.04.03:
hs-1119
:
コメント(0)
:[
メモ
/
自分との対話
]
自分探しの旅
時々、自分がどういう人間なのか分からなくなることがあります。「
あなたはどういう人ですか
」と単刀直入に聞かれれば困ってしまうことがあります。24時間いつも一緒にいるのに、なかなか自分のことは分からないものです。
子供の頃からの延長線上で一言では言い表せない漠然とした自分を演じているのかもしれません。
私たちの人間性は幼い頃にほとんど決まってしまうと言う人もいます。それだけ家族の影響というのは大きいのでしょう。人間を形成するのは遺伝子と幼少期の教育であるとすれば、
私たちの大部分は自分のものでありながら自分で作ってきたものではないのかもしれません。
子供の頃は求められることを忠実にこなす生活だけでいいのかもしれません。しかし、
大人になれば社会から家族から仕事から求められる役割をこなすだけの生活では、
自分の核となるものが存在しません。
自分探しというと、すべてのしがらみを断ち切り自由を求めようとする人もいますが、しがらみのない生活など世界中を探しても無人島にしか存在しないのかもしれませんね。
人間は習慣の生き物です。
子供の頃から求められる役割を無意識にこなす習慣がついているものです。
しかし、求められるものを無難にこなすだけでは自分という存在を確立することはできないのかもしれません。
自分の行動に自らの意志を加え主体的で積極的な自分を作っていかなければなりません。
好きなこと、嫌いなこと、どうでもいいこと、
すべてに自分なりに納得したうえで、自分なりの動機を持って行動することによって自分という人間の中心が作られていくのかもしれませんね。
今日の目標
自分の意志で行動しましょう
今日の写真
少し前の写真なのですが、雪に埋もれる庭石です。風林火山の動かざること山の如しではないのですが、季節の変化をものともせずに、じっとたたずむ石には不動の存在感を感じさせられます。
2007.03.30:
hs-1119
:
コメント(0)
:[
メモ
/
自分との対話
]
異なる二つの源泉
みんなの楽しそうな笑いが理解できない、みんなとの団体行動に違和感を感じてしまう、しかしそれを口には出さずにみんなに合わせてしまうということは、誰もが経験することなのかもしれません。
自分だけが普通とは違う異質なものを持っている、みんなについていけない共感できないと悩むこともあるのかもしれません。
そんな時、
人は自分を圧し殺す必要のない自分が自分でいられる場所や異質なものを共感し合える仲間を求めようとするのかもしれません。
ですが、私は自分の中にある異質なものとは趣味や価値感よりも、もっと深いところにある持って生まれた孤独感なのではないかと思うのです。
普段はそんな違和感と折り合いをつけながら生活しているものです。
しかし、人は自分の中にある違和感を強く意識させられると、普通の生活についていけないというコンプレックスに苦しめられます。そんな自分を守るために日常生活を遮断したくなることもあるでしょう。
端から見れば普通の生活、されどその人にしか分からない疎外感をみんなが持っているのだと思うのです。
私は疎外感を感じるのもコンプレックスを感じるのも、分かり合いたいという気持ちを持っているからなのだと思うのです。
人間の心の奥底には孤独感があるからこそ連帯感もあると思うのです。人によりどちらが大きいかは異なるでしょうし、年代や環境によっても変わってくるでしょう。しかし、どちらか一つだけということはないと思うのです。
心の中にある異なる源泉を使い分け、自分の時間と共感の時間をうまく作りだしていきたいと思います。
今日の目標
自他の区別と融合を意識して生活しましょう
今日の写真
小野川温泉からのぞむ吾妻山です。雲が天空へと吸い込まれるかのようにい勢いよく昇っていました。なんだか神秘的な一瞬を写真にしました。
2007.03.26:
hs-1119
:
コメント(0)
:[
メモ
/
自分との対話
]
善と偽善の狭間で
善とは何か考えてみました。世界中の宗教や哲学をひもとけば、たくさんの善が説かれています。しかし、人間は善を語ることはできても、それを体現するのはとても難しいものです。
たくさんのしがらみに縛られる人間の行動には純粋な善も悪もないと思うのです。
善を為す裏側には様々な思惑や打算が潜むこともあります。まわりの人間は、そんな裏に潜む我欲を見抜くと偽善者だと非難します。しかし、
無償の善を人間に求めること自体に無理があるのではないでしょうか。
自分の命をなげうって、私財をなげうって、家族を犠牲にしてまでの善を求めるのは酷なことです。
善のハードルをあげれば善人など誰もいなくなってしまいます。
誰かが見ているからゴミを捨てない、子供を乗せているから法定速度で走るなど、
一人ではできないから誰かに頼り善を為すのも立派なことだと思うのです。
節税のために慈善団体を作る人もいれば、自分のためにボランティアをする人もいることでしょう。しかし、
それが社会に貢献するものであれば、それもまたすばらしい善行だと思うのです。
反対に
偽善とは誰かを偽善者と非難し正義の鉄槌を下し裁こうとすることだと思うのです。
また、自分を善良な人間だと思い込み、自分の善を押しつけることも偽善になるのかもしれませんね。
善と悪が混在する世界に住むがゆえに、人間の心もまた善悪で混沌としています。
私は不安定な世界で安定した足場を求めようとするとき、人は善を求めるのだと思うのです。
いかなる形であれ善を求める行為が人間の本質だと思うのです。
その本質に迫ろうとするとき、人は本当の自分を発見し安らぎを得るのではないでしょうか。
この世にはたくさんの娯楽があり快楽があります。時間をつぶすのにも苦労しない時代です。しかし、同時にこの世界は満たされることのない砂漠でもあるのです。
終わりなき砂漠の旅に疲れたならば、善という名の清らかなオアシスを求めることも必要なのかもしれませんね。
今日の目標
自分なりの善を実践しましょう
今日の写真
みなさんお久しぶりです。やっとあたたかくなってきましたね。今日の写真はわずかに残る雪が日の光を浴び輝いているところです。ニュースでは桜の開花予想が取りあげられていますが、小野川温泉に桜が咲くのはまだまだ先になりそうです。
2007.03.23:
hs-1119
:
コメント(0)
:[
メモ
/
自分との対話
]
否定的なことほど敏感で
人間には「できること・できないこと」があります。これほど単純明快なことはないでしょう。ところが不思議なことに、
人間はあえてできないことをやろうとして思い悩むことがたくさんあります。
これは、
できないことほど目の前に大きく立ちはだかり、他のものが見えなくなるからなのでしょう。
9人の人間が賛成しても、たった1人の反対がとても気になるのも同じだと思うのです。
人間は自分に対して否定的なものほど敏感になるものです。
他の人から見れば些細なことに思えても、本人にとっては大きな問題になってしまいます。そのため解決できない問題を抱え苦しむこともあります。
「
今は自分のできることをコツコツとやっていこう
」という心境を得るためには時間がかかるのかもしれません。しかし、それが前に進むための唯一の選択なのです。
自分に襲いかかる否定的な思いを振り払い、自分にできることを積み重ねて頂きを目指す
。この単純明快な真理を得るために、たくさんの時間を必要とするのが人間なのでしょうね。
今日の目標
今できることを大切にしましょう
毎日のように降っていた雪もおさまってきたようです。今日の写真は当山から見える砂防ダムです。最後の雪景色かもしれませんね。高いところから見れば全体を見渡すことができますが、日常生活ではなかなか高い視点を持つことができないのかもしれませんね。
2007.03.16:
hs-1119
:
コメント(0)
:[
メモ
/
自分との対話
]
自己責任という大原則
以前、タミフルの話しで世の中には多くの人を助けるために少数の犠牲もやむなしという、恐ろしい天秤があると書きました。世の中には厳しい現実がたくさんあるのかもしれませんね。ただ、
自分の身に降りかからるまでは気づかないだけなのかもしれませんね。
助けてほしいと思うときに限って誰もいないということも、厳しい現実なのかもしれません。いつもまわりにはたくさんの人がいたのに、
自分が苦境に立つと蜘蛛の子を散らすように誰もいなくなるということがあります。
人間は本来孤独な存在なのでしょうか。
一人で生まれ一人で死んでいく人間にとって、道すがら出会う人々と共に歩くことはできないのでしょうか。
「裏切られるくらいなら信じない」とか「最後に頼れるのは自分だけ」という言葉を聞くことがあります。
でも、私は思うのです。
人間は弱く孤独であると知っているからこそ、分かり合える仲間を求めるのではないでしょうか。
それが人間本来の姿だと思うのです。ただ、
自分のことは自分でするという大原則があります。
もしかしたら人が離れていくのは自己責任を果たせなくなったときなのかもしれません。お互いに自己責任を果たしたうえで対等な付き合いをしたいものです。
今日の目標
自己責任について考えてみましょう
今日の写真
ここ数日でだいぶ雪が積もりました。眼下に広がる川も冬景色に逆戻りです。
...もっと詳しく
2007.03.14:
hs-1119
:
コメント(2)
:[
メモ
/
自分との対話
]
プライドを持って
篠原涼子さん主演の「ハケンの品格」が大人気なようです。私も楽しく見ています。このドラマのテーマは品格、プライドについてなのでしょうか。派遣社員としてのプライド、出世していくためのプライド、人間としてのプライドなど、登場人物はそれぞれのプライドを持って仕事をしているようです。
よく「
お前にはプライドがないのか
」と言うことがありますし、反対に「
そんなプライド捨ててしまえ
」と言うこともあります。同じ言葉なのに意味がまったく異なりますよね。
人間は弱いがゆえに自分を守るために、偽物のプライドにしがみつくことがあります。それが捨ててしまえと言われるプライドなのでしょう。
人を見下し自分を守るために、変われない自分を守るために、自分を正当化して守るために、歪んだプライドを必要とすることもあるのかもしれません。
しかし、プライドとは自分を支えるためのものだと思うのです。
自分に負けそうなとき、人に流されそうなとき、じっと耐えなければならないときに支えてくれるのがプライドなのでしょう。
また、何かを得るために何かを犠牲にして進んでいけるのもプライドを持っているからこそなのかもしれません。
私達は自分の持つプライドを見極めなければなりません。そして、どんな困難をも乗り越えていけるプライドを持ちたいものです。
今日の目標
自分を支えてくれるプライドを持ちましょう
今日の写真
小野川温泉の朝日です。私はこの時間が一番好きです。太陽が昇ってくるのを見ると、今日も一日頑張ろうという気持ちになれます。一日の始まりを大切にすると一日が充実してくるように感じられます。
...もっと詳しく
2007.03.07:
hs-1119
:
コメント(2)
:[
メモ
/
自分との対話
]
国を思う気持ち
「君が代」伴奏拒否の裁判が最高裁で判決が出たそうです。日本には憲法・議会・政府という国家としての体裁は整っていても、私達の心には国を思う気持ちが欠けているのかもしれないと思いました。
戦後の民主化の過程で表面的な制度は作られましたが、日本人として国を思う愛国心が育まれなかったのかもしれませんね。低迷する投票率がそれを象徴しているのではないでしょうか。
日本人として日本に住みながら、日本のことには無関心という矛盾があたりまえのようにあります。
社会貢献の意識が持てないというのも国を思う気持ちが欠如しているからなのかもしれません。愛国心とはなにも特定の思想を持つということではないと思うのです。
ただ自分の住んでいる国に対して関心を持ち、平和な世の中であるために自分にできることは何かと考えることだと思うのです。
海外に出れば同じ日本人というだけで親しみがわきます。しかし、日本で生活していれば、同じ日本人だからという仲間意識はなかなか芽生えないものです。しかし、
みんなが国を思う気持ちを持てれば、日本という国はもっともっとよくなると思うのです。
今日の目標
自分の住んでいる国に関心を持ちましょう
今日の写真
以前紹介した福寿草が、たくさん咲きました。前は気の早い一輪だけだったのですが、今は黄色い絨毯のようです。
2007.03.06:
hs-1119
:
コメント(0)
:[
メモ
/
自分との対話
]
次のページ>>
TOPへ
甲子の大黒さまについて
幸せな人生
自分との対話
人間関係
仏教について
自然の中で
小野川チヤンネル
本当の豊かさとは(連載①)
なぜ苦しむのか(連載②)
心を鍛える(連載③)
大切な家族(連載④)
長寿社会に思う(連載⑤)
上手な付き合い方(連載⑥)
ケータイサイト
プロフィール
インフォメーション
ALL
メモ
メール
Q&A
暦
リンク
地図
ウィキ
特集
プラン
ログイン
2025/04/10=4
2025/04/09=9
2005/07/09~114,188
copyright/hs-1119
Powered by
samidare
ケータイサイト
インフォメーション
プロフィール
Powered by
Communications noteβ