甲子(きのえね)の大黒さま

甲子(きのえね)の大黒さま
ログイン

 先日、映画「プラダを着た悪魔」を観てきました。タイトルから想像していた内容とは異なり楽しく観ることができましたし、いろいろと考えさせられました。
 
 華やかなファッション業界を舞台に、ワガママな上司と悪戦苦闘する部下のお話しでした。この映画では、どんなことにでも挑戦して自分の中で不可能を作らないこと、つねにセンスを磨くこと、どんなことにも忍耐が必要なこと、自己満足ではない努力が必要なことが成功の条件としてあげられていたように思います。
 
 また、夢には必ず犠牲が伴うこと、自分が出世するためには誰かを蹴落とさなければならないこと、どんな人間にも考慮しうる悲しみや弱さがあることなどもうったえていたように感じました。そして最後には今の生き方がすべてではなく、人間は自分の大切なものを守るために何度でも生まれ変われるのだというメッセージをもらったような気がしました。
 
 私たちは、つねに選択に迫られ何かを得、何かを失っていきます。その結果が今の自分なのでしょう。すべてを得ることができないからこそ、自分にとって大切なものを意識していなければならないのかもしれませんね。

今日の目標
 自分にとって大切なものを失わないようにしましょう


 たびたび写真で掲載した当山のもみじも散ってしまいました。鮮やかだったのもつかの間のことだったようです。そしてもみじが散るたびに、私も年をとっていくのだと無常を感じてしまいました
 
 考えてみれば植物は春の新緑からはじまり秋の紅葉にいたり、葉が散り冬を迎える。そしてまた春を迎えるわけです。まるで一年ごとに生まれ変わっているかのようです。
 
 私たち人間は長い長い四季を生きています。少年・青年・中年・老年と一度きりの、それぞれの年代を生きています。ともすれば忘れてしまうほどに長い四季なのですが、もう二度と戻ることはできません。
 
 人間は十年前に戻ってやり直すことはできません。しかし、十年後に今日の日を後悔しないように生きることはできるのです。自分自身も含めすべてのものが移り変わっていく諸行無常の世の中で、今できることを大切にしていきたいものですね。

今日の目標
 十年後に後悔しない一日にしましょう

今週の日曜日、小野川温泉の甲子(きのえね)大黒天で恒例のお祭りがあります。

◎日時 11月19日(日曜日)
◎時間 10時と12時からの二回
◎場所 甲子大黒天本山
◎御奉納金 お一人、2500円

 参加された方には、福餅の献膳と抽選で七福神の色紙などが当たります。

 この時期、各地でお祭りが行われます。それは農作業が終わる時期に一年間の無事を神仏に感謝し、さらにこれからも幸せに暮らすことができるように祈る行事でもありますが、とくに当山では災難を払い、福を招き入れる特別祈祷を厳修いたします。福餅とは、大黒さまに供えられたお餅をともに食べ合うことにより強い縁が結ばれ、毎日を笑顔ですごすことができると言われています。今年はあまりいいことがなかったという方や来年こそは頑張りたいという方は、ぜひご参加ください。
...もっと詳しく
 毎年この時期は雪囲いに悪戦苦闘してしまいます。まだ降らないだろう、もう少し大丈夫だろうと、ギリギリになってから冬の準備をしてしまいます。
 
 どんなことでも「もう少し大丈夫だろう」と泥沼にはまっていくのかもしれません。夏休みの宿題でも、ダイエットでも、脱税やドラックでも反省する頃には手遅れになっているものです。
 
 切りのない「あと少しだけ」は必ず限度を超えて災難につながってしまいます。ところが人間は分かっていても自分の「あと少しだけ」を抑えることが難しいものです。
 
 「あと三分だけ」という言葉は、相手のことを無視して自分を優先してしまった瞬間ですし、自分に負けてしまった瞬間でもあるのです。自分の中の些細な敗北です。しかし、つねに自分に負け続けているのに、人生を左右するような大事な勝負時に勝てるのでしょうか。どんなことでも日頃の鍛錬が大切ですね。

今日の目標
 「あと少しだけ」と言わない一日にしましょう 


 小野川温泉に立ち上る温泉の湯気の写真です。日ごとに寒くなるこの時期、冷え症の人でも温泉に入ればポカポカと眠ることができます。
 
 寒いからこそ温泉がありがたいですし、鍋料理も美味しいものです。暑いからこそ、寒いからこそ、そして辛いからこそ、ありがたいものが用意されているのかもしれませんね。
 
 もしかしたら、辛かったり苦しかったりするのは、普段なかなか気づけないありがたいを見つけるための配慮なのかもしれません。
 
 辛い時や苦しい時に顔を上げまわりを見渡してみると、ちゃんと自分を救ってくれるものが用意されているのかもしれませんね。世の中は意外と帳尻が合うように作られているのかもしれません。辛い時こそ顔を上げて歩いている自分でいたものです。

今日の目標
 日常に隠れている、ありがたいを見つけましょう
 私はあまりプロ野球のことは詳しくないのですが、西武の松坂大輔投手がアメリカの大リーグに移籍する話しが話題になっているようです。なんでもレッドソックスに決まりそうだとか。
 
 このニュースで入札や落札という言葉が気になりました。人間さえも商品として扱われる寂しさを感じてしまいました。日本のドラフト制度のほうが、まだ人間的だと思ってしまいます。
 
 松坂投手は大リーグで活躍することが子供の頃からの夢だったそうです。その夢さえも商品として取引される時代なのかもしれませんね。もちろん、プロの世界に身を置いているのですから当然のことなのかもしれませんが。
 
 プロの世界に限らず、一般の社会でもヘッドハンティングがあたりまえになってきています。ある意味、その人の経験や技術にお金を払う、査定されるということなのでしょう。近い将来、自分の胸に査定された自分の金額を貼るようになるのかもしれませんね。人間さえも商品として流通してしまう社会が正常なのでしょうか。

今日の目標
 人間を物と同じに考えないようにしましょう
 昨日、初雪が降りました。午後にはやんだのですが、少し高い山は雪景色となってしまいました。紅葉に色づく木々も突然の雪に驚いているのかもしれません。
 
 初雪を見て、正月に立ててからすっかり忘れていた今年の目標を思い出しました。今年一年、何もしなかったのではという反省と、毎日頑張って過ごしてきたという安堵感が半々といったところでしょうか。
 
 人間は自分に対しても相手に対しても、一つの思いを持ち続けるのは難しいのかもしれませんね。どんなに強い思いも徐々に薄れていってしまいます。悲しい思い出や辛い出来事なら、そのほうがいいでしょう。しかし、私たちは「忘れたくない大切な思い」をたくさん持っているはずです。年々風化していくのでは寂しいものです。
 
 あっという間に過ぎていってしまう時間の中で、何を考え何を思うのか。いくら写真やビデオに収めても、心が色あせてしまっては見なくなってしまいます。自分の中にある大切な思いを、いかに胸に秘めておくのか。見えない思いほど大切にしたいですね。

今日の目標
 自分の思いを大切にしましょう


 文部科学省に届いた自殺の予告状が騒動となっています。新たに5通も届いたそうです。この予告状にイジメ被害者の悲痛な叫びが聞こえてきそうです。
 
 イジメ被害者は自殺という選択肢があっても実行できずに苦しんでいる人が多いのではないでしょうか。簡単に死ねれば苦労はない、死ねないからこそ苦しんでいる人が大半なのではないでしょうか。
 
 どんなに苦しくても生きたいと、誰もが思います。しかしその反面、自殺しなければ解放されないという思いもあります。自分ではどうすることもできない袋小路にはまってしまうと、いつまでも苦しみが続いてしまいます。
 
 私は今の辛い気持ちを誰かに聞いてもらうことが、問題解決の第一歩だと思うのです。家族や担任に相談すればややこしくなるから、心配させたくないから、一人で対処しようと思うことが現状から抜け出せない原因なのかもしれません。人間はそんなに強くありません。誰かに聞いてもらえば気持ちが軽くなります。ゆっくりと話しをすることによって自分の気持ちが整理され、自殺ではない選択肢が見えてくることもあります。「いのちの電話」などのボランティアもあります。一人で抱え込まずに、誰かに聞いてもらえば少しは楽になるかもしれませんね。




...もっと詳しく
 この前、久しぶりの雨上がりの空に虹が架かっていました。最近は、ブログに投稿できる写真はないかと探す習慣がついてしまいました。
 
 つねに意識しているからこそ一瞬の虹を撮ることができたのかもしれません。そして、このことは日常生活のすべてにあてはまるのかもしれません。
 
 いつも緊張している必要はないのですが、私はまわりの人のちょっとした変化に気づくことのできる人間になりたいと思っています。服装や髪型から内面的なものまで、いつも変わらない人などいませんよね。
 
 良いことも悪いことも、最初はちょっとした変化からはじまります。良いことは続くように悪いことは改めるように、相手のちょっとした変化にあたたかい一言を添えられる人間になりたいものですね。

今日の目標
 まわりの人の変化にあたたかい言葉を添えましょう




...もっと詳しく
 あなたの好きな食べ物を思い浮かべてください。みなさんそれぞれに、たくさんあるのではないでしょうか。もし、目の前にそれが一度に広げられたら、とても食べきれませんよね。
 
 たとえば、子供がどんなにお腹を空かせても、食べきれないほどの料理は作らないのではないでしょうか。目に見える食べ物だからこそ限度が分かるのかもしれません。
 
 しかし、目に見えないものになると限度がなかなか見えなくなってしまいます。相手に対する期待などがまさにそうです。たくさんの期待を並べても、相手が消化できなければ意味がありません。
 
 食べ過ぎは体によくありませんし、好き嫌いをなくすのにも時間がかかります。食事ばかりではなく、どんなことでも適度に抑えることが大切なのかもしれませんね。

今日の目標
 適度な接し方を心がけましょう
   
 外食に行きますと、とても楽なものです。特にいつも食事を作っている人は献立を考えることも、準備や後片付けもありません。お店に入って注文して食べるだけで済むわけです。
 
 しかし、食事にかかる手間をお金で買っているとは思いたくないものです。料金の中に人件費も入っているのだからと考えれば、ただの外食です。ですが、楽をさせてもらってありがたいと思えれば、外食も幸せな一時になるのかもしれませんね。
 
 買い物に行っても「こんなに商品を揃えてもらってありがとう」とか「こんな時間まで営業してもらってありがたい」と言ったことはありませんでした。お金を払っているんだからという意識は人間を傲慢にしてしまいます。商品が高いとか接客が悪いと不満ばかりが出てきてしまいます。

 「ありがとう」という気持ちを持てば、自分も相手も楽しくなります。お店の人も楽しく、次のお客さんに接することができるかもしれません。もしかしたら、次のお客さんも楽しい気持ちになるのかもしれません。「ありがとう」のおすそ分けができるのかもしれませんね。

今日の目標
 ありがとうの気持ちを大切にしましょう


 紅葉の季節ですし、読書の秋ですね。古来より知識は尊ばれ、知識人は尊敬の対象とされてきました。履修問題が騒動となっていましたが、学校教育も知識の詰め込みが中心なのかもしれません。
 
 現代は生涯学習が時代のキーワードとされ、たくさんの本が溢れインターネットでもたくさんの知識を集めることができます。しかし、世の中に溢れる知識は本当に必要なのだろかと考えることがあります。
 
 たくさんの知識を集めれば、どうしてもそれを人に披露したくなってしまいます。他の人にとってはどうでもいい知識でも、自分が知っていると伝えるために語ってしまうことがあります。また、自分は学があるという錯覚は人を見下すことにもつながってしまいます。せっかくの知識が人を遠ざけることになってしまうのかもしれません。
 
 あの人は少し変だという場合、人の話に合わせられずに誰も興味のないような話を突然する人も含まれるのかもしれません。反対にあの人は賢いという場合、知識よりも人間性を指すこともよくあります。たくさんの知識を持つことよりも、どんな人とでも気さくに付き合えることのほうが大切なのかもしれませんね。

今日の質問
 生きていくのに必要な智慧とは何でしょうか。 

家族の大切さ①から、ご覧ください。
 現代人は人に対して、とても臆病になっているのかもしれませんね。何をするにしても「断られるかもしれない」、「バカにされるかもしれない」、「嫌がられるかもしれない」と考えてしまうのかもしれません。そんな思いをするくらいならば、めんどくさいから一人のほうが気楽だと表面的な付き合いに終始してしまうのかもしれません。積極的に人と関わっていくのではなく、「友達になってもらう」、「誘ってもらう」と受身的な関係を作ろうとしているのかもしれません。

 対人関係の中で積極的に自分の居場所を作ることができないということなのかもしれませんね。

 それは家族とうまく関係を作れないからなのかもしれません。甘えではなく、本当の自分をさらけ出し、それを受け入れてもらう。また、同じように自分も家族を受け入れるという、安心できる家族の絆を見失い、表面的な家族を演じているからなのかもしれません。しかし、それでは同じ屋根の下で暮らしている意味がなくなってしまいます。
 
 私たち人間は一人で生きることのできない状態で、この世に生を受けます。赤ちゃんにとっては家族が、この世界のすべてなのです。徐々に成長していき小・中・高と進んでいくに従い、自分の住んでいる世界が広がっていきます。思春期には家族よりも友達、社会人になれば家族よりも仕事が中心になっていくのかもしれません。しかし、どんなに自分の世界が広がっていこうとも、世界の中心は家族なのです。家族との関係をしっかりと作れなければ、

 どんなに広い世界に出ていこうとも孤独と不安から逃れることはできないのかもしれません。
 
 人と人との間に広がる溝は、家族の間に目に見えない距離があるからなのかもしれませんね。年々、世帯数が増加しているのは、その象徴なのかもしれません。私たちはあたたかい家族を持つことによって、あたたかい家族の中で過ごすことによって、

 人を大切にできる人間になることができるのだと思います。

 人を大切にできるからこそ、自分も大切にしてもらえる。こう思えることが幸せへとつながる道なのではないでしょうか。まず、家族で過ごす時間を大切にしたいものです。

長い連載を、ご覧いただきありがとうございました。 






 人間関係の基本は家族です。家族を大切にするからこそ、大切にされるからこそ、あたたかい人間関係を作ることができるのです。

 しかし、現代はその家族を大切にできなくなってきているのかもしれません。年間50万組の夫婦が離婚をし、熟年離婚・仮面夫婦・家庭内別居という言葉が作られました。全国には一人暮らしのお年寄りが407万人いて、施設に入っているお年寄りの数を入れればかなりの数のお年寄りが一人で生きているということになります。子供の虐待や育児放棄も増えていますし、反対に親を殺してしまう事件も相次いでいます。相手を思いやる心を日本人は失ってしまったのでしょうか。未成年の凶悪事件が続発しています。事件後の同級生や近所の人は「どこにでもいる普通の子供でした」というコメントが多いようです。社会のごくごく限られた人間ではなく、日本人の大半をなす普通の家庭から凶悪な事件が生まれているのです。どこにでいる

 普通の人がある日突然、加害者となり被害者となってしまう時代なのです。

それだけ多くの普通の家庭が問題を抱えてしまっているのかもしれません。
 最近はコミュニケーション講座とか人間関係を円滑にする本などがあります。あたたかい家族の中で育てば自然と身に付いているはずのものが、身に付いていないということなのかもしれません。私たちは家族で過ごす時間の大切さを、もう一度考えなければならないのかもしれません。あたたかい家庭で大切にされるからこそ、ありがたいという感謝の心が芽生えるのです。

 感謝の心を持つからこそ自分自身・家族・友人・仕事・食事など、自分の生活を大切にできるのかもしれません。

 ありがたいという気持ちが湧かないということは、自分にとって大切なものが何もないということなのかもしれません。もしかしたら、今の日本に漂う無気力感は自分にとってかけがえのないものを見失っていることが原因なのかもしれませんね。高級車に乗っても、30年ローンで家を建てても、おいしい食事を食べても、物自体がかけがえのないものにはなりません。隣りに乗ってくれる人、一緒に住んでくれる人、一緒に食べてくれる人がいなければ、むなしいだけなのではないでしょうか。人間は一人では幸せになることができません。だからこそ幸せを共有できる相手が必要なのではないでしょうか。

現代人は人に対して・・・続きは明日掲載します。ご覧ください。 

 今の子供は物で育てられます。生まれる前から家族が赤ちゃんのためにと、いろいろな物を買いそろえ、おもちゃに囲まれて育ちます。小学生になっても、わざわざ友達の家に行かなくても、自分の部屋で一人で遊ぶことができます。たとえ子供同士で遊んでいてもゲームという機械を通しての遊びです。食事の時間でもテレビをつけているのではないでしょうか。一家団欒の食事の時間でも、テレビという機械を通しての話題になっているのかもしれません。メールは機械を通してのコミュニケーションの象徴です。

 人と人との交流に機械が割って入り邪魔をしているようにも思えるのです。

 人と付き合うのがめんどくさいからテレビやゲームがあるのか、テレビやゲームがあるから人と付き合うのがめんどくさくなるのか、ニワトリと卵のような関係なのでしょう。しかし、確実に人と向き合う時間は、機械と接する時間によって奪われているのです。
 
 人間は何千年と地域の共同体の中で生きてきました。農作業から冠婚葬祭まで、お互い様の生活をしていたのです。村の一員として生きることによって

 自分の居場所や役割があり、それら伴う充実感や連帯感を持つことができました。
 
 どんなに否定しても人間は人間の中でしか生きていくことができません。何千年という人間の営みから抜け出すことはできないのです。仮に抜け出したとしたら歪みが生じてしまいます。今の日本に漂う無気力感や孤独感は、その歪みなのかもしれません。以前、新興宗教のブームがありました。新興宗教がターゲットにしたのは孤独な人間や居場所のない人間でした。生きる意味を見いだせない人が新興宗教というコミュニティーに自分の居場所や役割を持ち、充実感や連帯感に酔い痴れたのです。日本社会にあった共同体の消滅に伴う反動なのかもしれません。
 
人間関係の基本は・・・続きは明日掲載します。ご覧ください。