甲子の大黒さま
▼伝えることの難しさ
今年も鷹山大学での講座が始まりました。1回目の講座が終わってみて、何かを人に伝えることの難しさを実感しました。自分の中にある伝えたい思いのうち、どれだけが言葉となって相手に届いたのだろうか、なんだかもどかしさを感じてしまいました。
同じ日本語を話すのに、思いのすべてを伝えきれない、理解できないというのはもどかしいものです。そして、つねに誤解されるかもしれないという不安も会話にはつきまとうものです。「そんなつもりではなかった」とか「あんなこと言わなければよかった」という後悔もよくあるのかもしれません。
若い人は曖昧な表現を多用し、断定を避けるようです。いかようにも解釈できる言葉を使い、誤解されないようにと共感されなかったときの防衛策なのかもしれません。それだけ人間関係に臆病になっているのかもしれませんね。
どれだけ言葉を尽くしても語りきれない思いもあるものです。また、大切なことほど空回りしては伝えられないこともしばしばです。そんな時はどうしようもない孤独を感じてしまうものです。伝えきれない自分、理解しきれない相手、その埋めることのできない溝があることを知っておかなければならないのかもしれません。ですが、そのうえで相手を分析しようとするのではなく、素直に理解したいと思う日々の葛藤の中で、少しずつ相手に近づいていけるのかもしれませんね。
今日の写真
川辺に立つとても大きな木です。一本の木ではなく、何本かの木が寄り添うように立っています。人間もいつも一緒にいると似てくるといいます。それは同じ時間を長く共有することによって、お互いの溝が少しずつ埋まってくるからなのかもしれませんね。誤解を恐れず、ありのままをさらけ出せる相手がいてくれたら幸せですね。
画像 (小 中 大)
2007.05.29:hs-1119
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