甲子の大黒さま

▼親学に思う

 親学という言葉が登場しました。その内容を読んで「ここまで来てしまったか」というのが率直な感想です。人として生を受け大人になったならば、自分が育ててもらったように子供を育てる。この自然の営みに資格や適性が問われることはなく、誰もがあたりまえにおこなってきたことでした。しかし、ここにきて自分勝手に子供を育ててもらっては困るからとマニアルが登場したわけです。政府が家庭生活に介入すべきか否かの議論よりも、ここまでしなければならない時代なのだという危機感を持たなければならないのかもしれません。
 


私の住んでいる市の「子ども憲章」の一部を掲載します。
1、善悪の区別がわかり、正義を愛する心を育てましょう
1、他人の迷惑や痛みがわかり、おもいやりの心を育てましょう
1、自分の夢や目標をもち、絶えず努力する心を育てましょう


 この憲章にある「育てましょう」というのは誰が育てるのでしょうか。学校で問題や事件が起こるたびに教育委員会や教師が責め続けられてきました。しかし、学校には任せておけないから人間的な教育は家庭でおこないましょうという気運が高まることはありませんでした。今回の親学は、その第一歩なのかもしれません。親は学校に子どもの教育を任せ、学校は躾は家庭でと、いわば子供の押し付け合いをしていたのかもしれませんね。地域は子育てに介入できずに、社会の中で子供が放置されていたのかもしれません。
 


 子供の社会生活は幼稚園から始まります。良くも悪くも子供はまわりの子供から強く影響を受けるものです。幼稚園に通うようになり、教えたことのない汚い言葉を使うようになったり、急に行儀が悪くなったと感じることがあるかもしれません。お受験のある一部の幼稚園を除けば、保育料や保育時間を選べても、同級生の子供を選ぶことはできません。だからこそ、すべての子を持つ親が子育てについて真剣に考えなければならないのかもしれませんね。ファミレスや映画館など親子連れの集まる場所にいきますと、そのことを強く意識させられてしまいます。
 


 いかに学校を改革しようとしても成果をあげるのは難しいでしょう。大切なことは子供達ではなく大人達が「子ども憲章」にあることを実践することなのかもしれません。自分にできないことを子供に伝えることはできないのですから。教育改革とは子供の問題ではなく、私達大人の問題なのかもしれませんね。
 


今日の写真
 少し前の写真なのですが、木蓮のつぼみです。今はもう咲き終わり散り始めています。本当にあっという間に時は移ろいゆくものですね。子供もあっという間に大きくなっていきます。だからこそ手をかけられる時期を大切にしなければならないのかもしれませんね。
画像 ( )
2007.05.12:hs-1119
[2007.05.16]
私も同感です (副さん)
[2007.05.13]
大人になる (梅)

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