甲子の大黒さま

▼宗教と科学

 最近、宗教と科学についての議論が盛んなようです。そこで私の意見を書かせていただきたいと思います。信教の自由には信じない自由も含まれています。ですから、信じる信じないは各個人の自由なのでしょう。
 
 しかし、世の中は信じることで成り立っていると思うのです。太陽が落ちてこないと信じられるからこそ、普通に生活できます。飛行機が落ちないと信じられるからこそ乗ることができます。信号が故障していないと信じられるからこそ、横断歩道を歩くことができます。明日に希望があると信じられるからこそ、今日を生きることができます。意識していなくとも、日常生活とは信じることで成り立っているのだと思うのです。
 
 人間にたとえるなら科学は理性ですし、宗教や信じることは感情だと思います。理性と感情が人間の中で両立しているように、社会の中では科学と宗教や信じることが両立しバランスが取れているのだと思うのです。文明の発達により人間は快適で便利な世の中を享受しています。しかし、科学がどんなに進歩しても、あくまでも道具でしかないのです。人間の本質とは信じることだと思うのです。目の前の相手を信じることによって社会が成り立ち人間の営みが続いていくのではないでしょうか。
 
 宗教を存在論として科学の領域で理解しようとすることはできません。宗教とは科学の限界や己の無力さを知ったときに、生まれてくるものだと思うのです。存在するから信じる、しないから信じないということではないのです。なにかにすがりたいという人間の心の奥底から溢れてくる気持ちが、人間の何千年という歴史の中で宗教を形成していったのです。人間は理屈で生きているわけではありません。だからこそ、悩み苦しむのです。その人間の揺れる心を安定させるのが信じることなのです。体系化された宗教を理解しようと思えば、希望を持って生きるために自分の心の奥底にある、なにかにすがりたいという気持ちを知らなければならないのかもしれません。

今日の写真
 小野川温泉から見る米沢市内の方向の写真です。今年は晴れの日が多くきれいな青空を楽しむことできます。 


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2007.01.19:hs-1119

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