甲子の大黒さま

▼何を基準に生きるのか【前編】

何を基準にして生きるのか
 まわりの人が自分の思い通りに動いてくれずにイライラしたときに考えました。私は今までに出会ったすべての人の求めに応じて生きてきたわけではありませんでした。両親や先生からの忠告、友人からの頼み、そして街頭の募金までほとんどの要望を無視して生きてきたのではないのかと思ったのです。仏様ではなく人間なのですから、すべての期待に応えることなどできません。それなのに、まわりの人には自分のすべての求めに応じるように強要している自分がいます。やはり人間ですから。
 私たちは何を基準にして生きているのでしょうか。

◎どうして理想の世の中を基準にして、今の世の中を嘆くのでしょうか。

◎どうして理想の自分を基準にして、自分の現状に失望するのでしょうか。

◎どうして自分勝手な理想像を基準にして、目の前の相手に不満をぶつけるので しょうか。

 
 人間が悩み苦しむのは自分勝手な理想像を基準にして生きようとするからなのかもしれません。人間は完璧ではありませんから、誰もが欠点を持って生きています。そんな人間が集まり作り出す世の中ですから完全ではありません。だからこそ、不祥事があり、問題があり、事件があたりまえのように起こります。自分と同じように弱さを持ち、怒りが込み上げ、嫉妬を抱き、コンプレックスがある人間が作りだしている世の中なのですから。

後編へ続く・・・

今日の写真
 雪をかぶったもみじの木です。細い枝まで山のように雪が積もっていました。これから四ヶ月間は木々も人間も雪のなかでの生活です。おそらくあっという間なのでしょうが春が楽しみです。
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2006.12.05:hs-1119

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