甲子の大黒さま

▼長寿社会に思うB

 人生最良の時期が過ぎてしまえば、どうなってしまうのか考えただけでも怖くなってしまいます。以前のブログにも書きましたが、人間が幸せを感じられる三つの条件があります。一つには、自分の役割を持つことだそうです。しかし、年々体が衰えていけば役割など持てなくなってあたりまえです。二つには、なごみの場所を持つこと、会話が必要なのだそうです。しかし、生活の時間帯が異なってきますし、世代間のギャップは広がるばかりです。耳も遠くなりますし、声もかすれてきます。そもそも会話自体が難しくなってきてしまいます。三つには自分の人生を認めてもらうこと、「頑張ってもらってありがとう」という感謝が必要なのだそうです。たとえ体が不自由になり、会話が難しくなっても、家族のあたたかみは感じることができます。しかし、老後をあたたかく過ごすための家族の絆が弱くなっているように感じてしまいます。
 
 普段の生活でも、お互い気を使うくらいならばバラバラに生活したほうがいい思うのかもしれません。みんなで生活するよりも少人数で暮らしたほうが楽だと考える時代です。また、仕事での転勤や単身赴任が家族みんなでの生活を難しくしています。ですから核家族が増え、実家に帰るのはお盆とお正月だけという家族も多いのではないでしょうか。たとえ一緒に暮らしていても食事もバラバラという家族も多いのかもしれません。お互いに気を使うくらいならばと、同じ家にいながらバラバラの生活をしていれば、家族の絆が深まることはありません。
 
 よく「家族に迷惑をかけたくないから健康でいたい」と聞きます。しかし、一生健康でいることなどできません。病気にもかかりますし、怪我をすることもあるでしょう。寝たきりになることも十分に考えられます。人間にとって老・病・死は避けられないのですから。しかし、それよりも「家族に迷惑をかけたくない」という言葉に悲しい響きを感じてしまいます。それだけ家族の溝が深まっているということなのでしょうか。テレビでは頻繁に保険のコマーシャルが流されています。お年寄り向けの保険が人気なようです。なんだか最後まで一人で生きなければならない世の中を象徴しているかのようです。

 
そもそも、人に迷惑をかけないで生きることなどできません。親しければ親しいほど、家族ならなおさら迷惑をかけるものです。しかし、それはお互い様だと思うのです。子供の頃さんざん迷惑をかけたからこそ、せめて老後に恩返しをと考えることによって、世の中はうまく回っていました。しかし、これからは育ててもらっても老後の世話はしないという世の中になっていくのかもしれません。老後のお金や健康の心配をするのは、それだけ家族に頼れない、頼ってはいけないと考えるからなのかもしれません。もしかしたら老後を一人で過ごさなければならないという不安が心の底にあるのかもしれません。 
 
子供は両親が・・・続きは明日掲載します。 
 
写真日記
 落ち葉が風に飛ばされ宙を舞っている写真です。最近は毎日のように落ち葉を掃いています。掃いても掃いても次々に溜まっていってしまう落ち葉です。しかし、いつかは私もこの落ち葉のように散っていくのだろうとなんだか悲しくなりました。
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2006.11.25:hs-1119

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