甲子の大黒さま
▼長寿社会に思うA
これからのお話しは、介護をする立場の私たちが自分が介護を受ける立場になったときに経験するかもしれないことです。普段なかなかお年寄りの立場になることができませんから、あえて掲載させてもらいます。
かわいい孫も大きくなり手がかからなくなりました。最近は小遣いでもあげなければ話しもしてくれません。早寝早起きになり家族との時間も合わなくなります。家族はあわただしく仕事や学校に行き、帰ってくる頃には食事が終わりお風呂に入り、眠る時間です。徐々に家族と会話をする時間がなくなっていき、自分だけが離れていくような寂しさを感じてしまいます。最近のことはすぐに忘れてしまうので、なつかしい思い出話をしたいのですが、子供も孫も飽きたとばかりに嫌な顔をされてしまいます。少し前ならご近所の同世代とお茶を飲み昼間の時間が過ぎていきましたが、最近は外に出るのもおっくうです。日中は一人で家にいることが多くなってきました。テレビを見ているか昼寝をしているかの生活です。朝早く起きても家族はみんな眠っています。静かな朝の時間のですが、寂しさが込み上げてきます。家族の中で生活しているのに孤独を感じてしまいます。自分が家族に迷惑をかけているのではないかという罪悪感もあります。しかし、まだ83歳です。週に一度は病院に通いますが、まだまだ長生きしそうです。
さらに数年が経ち、体も思うように動かなくなりました。生まれ育った家は取り壊され、孫の建てた家に住んでいます。最近やっと、この家にも慣れてきたところです。しかし、家族は私が施設にはいることを望んでいるようです。できるならば、許されたわずかばかりの余生を家族と共に過ごしたいと思うのですが、きっと家族の迷惑となることでしょう。家族は毎日忙しく働いているのですから。この年で新しい環境に馴染む自信はないのですが、施設に入るという悲しい決断をしました。もともと、家にいても寂しい思いをしていました。そんなことなら同世代の仲間のもとに行ったほうがいいと自分に言い聞かせたのです。家族は毎週面会に来るからと言ってくれます。その言葉にすがりたいと思います。施設の見学に行けば「家よりよっぽどいいよ、おじいちゃんがうらやましい」とまくしたてます。込み上げてくる悲しさを押し込め「ここならいいかもしれない」と気を使って言ってしまいました。施設に入れば知らない人ばかり、グループもあればイジメもあります。最初のうちは頻繁に来てくれた家族も月に1回30分だけです。施設では訪ねてくる人の数が噂されます。「もっと来て欲しい」でもそんなことは言えないまま「俺も楽しくやっているから大丈夫だよ」と言って毎回家族を送り出します。まわりの人間の失笑が聞こえてきそうです。
施設に入り半年後、手術を受けることになりました。やっとお迎えが来たという安堵感と手術に対する恐怖感が半々といったところでしょうか。久しぶりに家族みんなの顔を見ました。みんな心配そうな顔をして励ましてくれます。4時間にも及ぶ手術は大成功でした。麻酔から覚めてみると長男夫婦がいてくれました。「おじいちゃん、手術は大成功だってよかったね」と笑顔です。もう少し生きられるという喜びが湧いてきます。しかし、長男夫婦は「あとは看護師さんにお願いしてるから」と言って、さっさと帰ってしまいました。病院から施設に戻る日、たまたま仕事の休みだった次男のお嫁さんが来てくれました。「みんなは」と声をかけると「みんな忙しくて」という返事です。「みんな大変だね」と言うしかありません。自宅ではなく施設に帰り、眠れない布団の中で「今まで何のために頑張ってきたんだ」という自分への問いかけに涙が止まらなくなりました。それでも、まだ数年は生きなければなりません。一週間後、施設から家族に、おじいちゃんに痴呆症の症状が出たので、施設を移ってもらいたいとの連絡が入りました。
人生最良の時期が過ぎてしまえば・・・続きは明日掲載します。
本日の写真
朝、向かいの山を見たら光の筋が帯状になっていました。とてもきれいだったので掲載します。
画像 (小 中 大)
2006.11.24:hs-1119
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