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▼痴人の愛
我が家の愛犬たちはどちらも小型犬で、散歩に連れて歩くと、幼稚園の引率のようだと言われる。
2匹のうち1匹は、ミニチュアダックスフンドのももこで、今年の夏が来ると、もう8歳になる。
もう1匹、ヨークシャーテリアのななこは、我が家の末っ子役で、今2歳半である。
生後8ヶ月ほどで体の成長は止まり、その後見た目は同じようなので、私たち夫婦はいつまでも子供扱いを止めない。
犬の年齢を人間の年齢に換算してみると、ももこは46歳、ななこは25歳となるのだが、夫婦は子離れが出来ないのである。
幼児語で話しかけることは珍しくなく、愛称も、ももちゃん→ももちん→ももぴん→ももちゃんぐむ、と(ななこの場合も同様)甘く意味不明に変形して、収拾も歯止めも付けられないまま、この先どうなるかも分からない。
子供を持たない私たち夫婦が、愛犬たちに幼児語ではなしかけるのは、堰き止められていた川が流れ始めたような開放感があって、分別ではやめられないのである。
かくして痴人の愛は進行する。
昨年の4月の頃だったろうか、向かいの空き地の隣で、家の建直しがあったとき、我が奥方は大工さんに片手間仕事の交渉に行った。
それは、前から夫婦で何度か話し合ってきた、心配事の解決策をたのみに行ったのだった。
私たちが居間のソファーに腰を下ろしていると、愛犬たちは、そこに飛び乗って擦り寄って来る。
ソファーの上でキスの挨拶を受けたり、膝の上で体を抱いたまま眠らせたり、手足の肉球をいたずらしたりして戯れるのは、夫婦と愛犬たちと、どちらにも欠かせない安息の時間なのだが、乗り降りのとき、小型犬の足腰関節に掛かる負担が体を傷めないか、心配でならなかった。
そしてその心配事は、私が使っているベッドについても、ももことななこは乗り降りをしたがったので、同じだった。
ソファーの上もベッドの上も、私たち夫婦と愛犬たちが、同じ平面にいるべきではないのかもしれない。
むしろ少しの間我慢して、乗り降りしないようにしつけるのが正しい解決なのだろう。
私は犬の健康・医学・習性・種別特性・心理等々について、すくなくても6、7冊の本は勉強して来たのであったが。
大工さんは、本当に好いのですねと確かめて、ソファーの4本脚をすばやくミニチュアダックスフンド状態にしてくれた。
変形されて、イタリア=ミラノ製の座椅子仕様となったソファーは、分別出来ない私たち夫婦によく似て、格好よくなかった。やれやれの外観になってしまった。
話してみると、大工さんもチワワを飼っている犬好きの人で、私のベッドも知り合いのリサイクルショップに運んでくれることになった。
家具修理屋さんにたのめば、1万円くらいのところを犬仲間友情価格、〆て5千円にしてもらった。
現在、私が使っている通信販売で買ったベッドも、とても奇妙なものだ。
ドイツ製だとのことだが、ぺったんこな枠組みに反った板を張り渡したスノコのようなもので、愛犬たちが乗ろうと降りようと安全は絶対間違いない。
私たち夫婦飼い主は分別を放棄して、痴人の愛に流されているが、愛犬どうしの間には微笑ましいたしかなものが生まれ育っている。
生後2ヶ月弱のころから、ももこと何時も一緒のななこは、ももこを母親と思っているようなのだ。
ななこは嬉しいことがあったとき、先ずももこの脚を甘噛みしてはしゃぎ回る。
纏われつかれるももこにも、それに応える母性が芽生えて来ているようで、散歩のとき他所の犬がななこに接近するのを許さなくなった。
我が家の愛犬たちは、子離れできない飼い主たちとは別に、年齢相応に成育しているのであった。
画像 (小 中 大)
2006.05.10:higetono
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