文化うさぎの旅

▼綱木獅子踊り【米沢市綱木地区】

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置賜文化フォーラムの編集員「うさぎ妃」です。
置賜には長年受け継がれてきた貴重な伝統文化が残っています。
その一つに置賜の獅子踊りがあります。
当フォーラムでも、「宝」記事として掲載しているところです。
「躍動する置賜の獅子踊り」は、こちらをご覧下さい。
8月15日に、米沢の山奥にある綱木地区の獅子踊りが行われると聞き、取材してきました。


米沢市内から南に向かい、どんどん山奥へ入って行きます。
民家もなくなり、道が非常に狭くなってゆき、この先人里などあるのかと思うほどの山道を進みます。

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地図どおりに進んでいるので大丈夫だとは思いつつも、車が一台やっと通れるぐらいの細い道となり不安いっぱいになってきます。しばらくして峠を越えると道が開け、民家が見え、笛や太鼓の音が聞こえ、綱木に無事到着し、ほっとしたうさぎ妃でした。綱木獅子踊りを考える会の雨田さんが、陸の孤島とおっしゃっていましたが、納得してしまう場所でした。


到着してまず興味を持ったのが民家でした。綱木地区では人口が激減しているそうですが、現在も住み続けておられる方々は、昔からの茅葺屋根や、木造の家を大切にして暮らしておられました。
自然の恵みと御先祖様を大切にする思いが伝わってくる家々です。
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米沢市の綱木地区は、山形県最南端に位置し、上杉景勝が藩主になってから綱木番所が置かれ、福島県会津地方と山形県米沢を結ぶ主要道路会津街道沿いの宿場町として榮え、また薪や木炭の産地としても明治時代までは大いに繁栄した歴史があるそうです。


昔の獅子踊りは、各家庭を回って仏間で踊りを披露したので三日三晩かかったそうで、その名残を道中流しといい、円照寺跡までの道すがら笛を吹き、太鼓をならしながら進みます。

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踊りは、「関東肥挟踊り」「角田中村踊り」「十七下り」と三つの構成からなります。

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5頭、7頭などの獅子踊りがある中で、置賜の獅子踊りの特徴が3頭構成で、雄獅子2頭、雌獅子1頭となっています。

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綱木の獅子踊りは、平家の再興を願って踊ったのが始まりと語り伝えられているそうで、途絶えることなく踊り伝えられてきたのは、御先祖様への供養と五穀成就を祈ってのほか、不慮の死をとげた多くの方々の霊を慰める鎮魂供養の踊りでもあったとされているそうです。

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長い歴史の中で、この獅子踊りを行わなかった年は、地区に大火があり、土砂崩れなどの災害に見舞われるなどの災いが起ったということで、それ以来戸数が激減している綱木地区ですが、休むことなく旧盆には、毎年歌い踊り続けているそうです。

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綱木獅子踊りの保存会のメンバーは現在40人ですが、この伝統の踊りを受け継いでゆく人がいなくなってきているということで、後継者問題が課題だそうです。雨田さんはこの伝統を無くしたくない思いで、応援していらっしゃるとのことでした。


獅子踊りは円照寺跡で行われたのですが、その隣には木造で神秘的な雰囲気のある神社があったので、写真でご紹介します。
タイムスリップして昔に来たような錯覚がおきる場所でした。

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みごとな龍の彫物です。

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獅子踊りは、昔は米沢市内でも15〜16はあったそうですが、現在は、米沢市で残っているのが、万世町梓山(ばんせいちょうずさやま)地区とこの綱木地区の2つだけとなってしまっているようです。

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多くの獅子踊りが途絶えていく中で、なぜこの綱木地区の獅子踊りがずっと途絶えず続いてきたのかを雨田さんにお聞きしました。「陸の孤島という地形もあり、外へ向けた踊りの意識が全くなく、この地域の人々が幸せに暮らせるように、先祖の供養と魔除けのため、この地区に住む人々自らの為に受け継いできたから、この綱木の獅子踊りは無くならなかったと思う。」とおっしゃっていました。

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長年続いた綱木の獅子踊りを、ずっと見届けてきたお地蔵様は、石が風化してお顔がはっきりしていませんでしたが、今年も獅子踊りが行われているのを喜んでいるように見えたうさぎ妃でした。

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綱木からの帰り道、上杉神社のお堀の蓮がとてもきれいに咲いていたので、おまけの写真挿入です。
きれいな蓮がお堀に一面でしたよ。
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2012.08.15:higashino

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