人がいいという人もいれば、悪いという人も。
人懐っこいとあれば、排他的とも。
おしなべてことなかれ主義かもしれず、
誰もが言うのは自己PR下手でそれを美徳と思ってる残念賞。
山形市民の特徴とはなんだろうと聞けば、立場によっていろいろな回答が帰ってくるもので、これはどういうことなんだろうと疑問に思っていました。
「登米発!昭和が薫る、楽しい田舎のシニアライフ」
#シニア #松本忠 #鉄道風景画展 #石越駅 #ふるさと夏まつりin 石越 #終活
ライター紹介 千田 久勝 ・地域の暮らしを明るく照らす、灯(あかり)ライフサポート 代表支援員
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1977年生まれ。安心して生活出来る住環境を作るサポートをしています。趣味は昭和レトロな薫りがする物や場所です。このコラムでは「昭和レトロ」と「シニアライフ」ネタで、読んでいただく方に和んでいただきたいと思っています。
前回の投稿が2月でしたので、今まで何をしていたのかといいますと、
7/29(日)私の地元、宮城県登米市石越町で開催する
「ふるさと夏まつりin 石越」の事務局として、
全国各地から登米市へ足を運んでもらえるようなイベント作りに力を注いでおりました。
今までのコラムに書いてきた通り、石越はのどかな田園風景が広がる、のんびりとした町で、住民は世の中の変化にお付き合いをしながら過ごしてきたような時間を過ごしてきました。
2005年に行われた「平成の大合併」と呼ばれる市町村合併により登米郡は隣接していた津山町を含めた9町が合併し、「登米市」が誕生しました。
私自身は合併後の2006年に仙台から登米市へUターンし12年となりました。
町を見渡せば大きな変化を感じる事はありません。
むしろ衰退していっているようにも見えます。
しかし、その頃から比べてもコンピューターやインターネットの普及により、テクノロジーは大きく変化しました。
その当時には思いもよらないような世の中になっていると実感しています。
子供の頃から見ていたアニメ「ドラえもん」で見ていた未来は、車が空を飛んでいて、未来的な服を着ているSFの世界を夢見ていました。
そのような藤子不二雄ワールドに近づいているような、いないような。こういう私の書いた文章が全世界の人が見る事が出来る世の中もある意味「想定外」の未来を実感するひとつです。
シリーズ「寺、マイル」やまがた編。第一回は、曹洞宗 天瀧山 光禅寺 です。
江戸のプロローグ戦国乱世から江戸のはじまりにかけて活躍し、一時期は置賜を除く山形全土を統一。その後は内政に力を入れ山形の土台を作った男、最上義光。その墓所を守る光禅寺は、当時の山形城の門外、複数ある三ノ丸城壁の出入口のうち、七日町口より一番近い場所で開山しました。現在の七日町長源寺のある場所です。もっとも、当時の敷地は、南は御殿堰、北東の角が花小路の入り口、西は現在の商工会議所の裏通りまでと、「長源寺通り」と「シネマ通り」の四辻を「おへそ」にした広大な敷地だったようです。現在の場所は鉄砲町。山形中央高校のとなりに位置します。
↑秋田県秋田市の市営墓地・平和公園内にある合葬墓
温泉と温泉宿の朝食バイキングが大好き。最近はパワースポット巡りに加え、革靴磨きにハマりそうな、終活ライターの半田です。
#合葬墓 #お墓 #墓じまい #寺離れ #供養
いま全国各地にて「合葬墓」を整備する自治体が増えて来ているのはご存知だろうか。
その募集が開始されると、市民が殺到し新聞沙汰になることも多い。
今回は、なぜ今この自治体が整備を進める「合葬墓」がそんなに話題なるのか? に迫ってみたい。
まずは基本「合葬墓」とはなんだろう?
ご遺骨を埋葬する方法のひとつで、
合葬とは、読んで字のごとく「合わせて埋葬する」という意味だ。
ご遺骨を他の人と一緒にする埋葬方法のことを指し、
ご遺骨は色々な人の遺骨とひとまとめにされ混ざった状態になり、長い年月をかけて土に還るかたちで地面に埋葬される。
(最近では専門家でない業者が施工し、カロート全体がコンクリートで囲まれ、土に還れない合祀墓もある)