羽田設計事務所

HaDA Sekkei
羽田設計事務所

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所在地  山形県山形市
主要用途 個人住宅
敷地面積 117.09平方メートル
建築面積 61.04平方メートル
延床面積 177.98平方メートル
構造規模 鉄骨造、地上3階

主な外部仕上げ
屋根/ガルバリウム鋼板スt=0.35mm、タテハゼ葺
外壁/ガルバリウムスパンドレルt=0.35mm
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所在地  山形県東置賜郡高畠町    
主要用途 高等学校
敷地面積 39.521.54平方メートル
建築面積 5498.09平方メートル
延床面積 9612.96平方メートル
構造規模 RC,SRC,S造

主な外部仕上げ
屋根/FRP防水 アスファルト露出防水GL鋼板平葺
外壁/コンクリート化粧打放の上アクリルシリコン樹脂塗装 
建具/アルミサッシュ アルミカーテンウォール

主な内部仕上げ  
教室 床/モザイクパーケット貼 
   壁/シナ合板目透かし張CL
   天井/ロックウール化粧吸音版

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所在地  山形県米沢市 
主要用途 中学校
敷地面積 39.487平方メートル
建築面積 2.327.60平方メートル(校舎)
     1.512.47平方メートル(屋内運動場)
延床面積 4.077.36平方メートル(校舎)
     2.737.56平方メートル(屋内運動場)
構造規模 鉄筋コンクリート造、
     一部鉄骨 地上2F

主な外部仕上げ  
屋根/FRP防水、ステンレス防水 
外壁/コンクリート型抜 高耐候性フッ素樹脂塗装
建具/アルミサッシ(ペアガラス)

主な内部仕上げ  
ホームベース
床/集成フローリング
壁/シナベニヤWSCL
天井/岩綿吸音板
教科教室床/集成フローリング
壁/シナベニヤWSCL
天井/岩綿吸音板
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平和公園通りからパンチングメタルで覆われた木立をぬけると、円く切取られた空間が現れる。そこは、バザーなどイベントのできる開かれた"フォーラム"である。南側のスロープで2Fレベルにアクセスすると芝生のデッキで戯れる子どもたちや住民の憩う光景が見られる。その下には、外とはガラスで仕切られたユニバーサルスペースが広がる。そこは、カフェやレストラン、コニュミュティセンターや児童
館が並び、間仕切りのない一体空間になっている。保育園やディケアセンターも空間を共有しており、自然な交流がもてる。このガラスで覆われたパッサージュとホワイエのおかげで、冬は冷たい外気から守
られ、住戸からは屋内空間のみで各施設へアクセスできる。夏はガラスを開放することによって風や自然を肌で感じ、中心市街でありながらも緑に包まれた環境で豊かに過ごせる。

ここでは、少子高齢化社会のなかで家族を超えた新しい共同性をめざしており、共に支え合い共に生きる"コレクティブ"がテーマとなる。単身の高齢者には、共同に生活のできるコレクティブハウスが準備され、共に支え合うことで自立できる。必要に応じてヘルパーステーションとディケアセンターのサービスも受けられるので安心と継続性のある自立した生活が営める。また、家族の住まうエリアにもコモンリビングが各所にあり、そこを通して近隣の付合いを親密なものにする、いわゆる、家族をつなぐコレクティブハウスだ。さらに大きな住戸全体は、コミュニティセンターで交流することができる。そして、津軽海峡を望む最上階は、"SOHO"を持つメゾネットタイプの住宅で、新しい仕事のスタイルを持つ人々に階下の生活空間と切り離された仕事のしやすい環境を提供している。

四季の変化を感じながら、多様な人々はコレクティブな空間環境によって相互関係を持ち、安心にまた快適に生活を繰り広げられる。
新しい世代交流の場の形成
私たちの提案する東根すこやか・やすらぎの郷は、市民が気軽に立ち寄り自然な交流と出会いが生まれる、にぎやかで活気の感じられる施設です。複合施設にありがちな迷宮性を避けて、全体の構成は機能が並列配置されるコンビニエントでオープンな親しみやすい建築を目指しています。このようなシステムの空間は、将来にむけての柔軟性・持続性・拡張性をもちながら、基本構想のなかで述べられている「市民の快適空間としてのシンボル性」を充分に備えた崇高さを実現します。

MESSAGE
”羽田ルネッサンス”を夢みて
月刊「近代建築」 2001年4月号

 私たちの師である羽田他所夫は金沢の生まれであったが、戦後山形の地に腰を据え、建築の作品にとどまらず、さまざまな分野で近代化を推し進めた生粋のモダニストであった。羽田が生を享けたのは1917年、ロシア革命の年である。その頃の日本は大正デモクラシーや世界恐慌、軍国主義の嵐が吹き荒れ、建築のモダニズム運動の影響とともに、青年期の思想形成に大きな影響を与えたと思われる。そのためか戦後生まれの私たちよりも既成の価値観にとらわれない自由さと、剛毅な精神を併せ持っていた。建築の作品性という面では、モダニズムの原則に忠実な、愚直なまでの原理主義者であった。とりわけポストモダンの風潮には批判的で、主張を最後まで曲げない頑固さが私たち若い世代との軋轢を生んだ時期もあった。モダニズムの揺籃期を過ごした羽田にとって、当然の反応であった。その羽田も他界し、自由で進取の気性に富む精神は現在の事務所に引き継がれた。

 こうして21世紀の初頭に建築の世界を展望する時、羽田がこだわりをみせたモダニズムが再び輝きを増しはじめたようにみえる。地方から見ると、反モダニズムから生まれた地域主義すら取りこみつつあると感じる。一世を風靡した、地方の建築とは屋根をのせることかと思わせる単純な風潮はなりを潜め、あらたな展開をはじめた感がある。

 私たちがそのことに関心をもつのは、めざしてきた建築がプレモダンな風土的表現を超えたいと願ってきたからである。少なくとも地域の中に封じ込められた建築ではないデザインを求めてきた。それは、建築は常に時代の新しい精神をとりこみながら変化して当然であるし、そうあるべきだと考えるからである。

 たとえば素材や工法を工夫することで、土地の風景や文化に同化させるあらたな風土的デザインの可能性もある。モダニズム=ユニバーサリズムの隆盛はそれを勢いづかせると感じている。当然、その隆盛の秘密はユニバーサリズムが情報化社会の建築表現にふさわしいという側面と、少し皮肉な見方をすれば、経済のバブル崩壊という側面のなかでぜい肉をおとさざるをえなくなった建築が、モダニズムの質素な美学を再発見した面がある。むしろ、実態は後者に近いのだろう。

 地方が直接世界と繋がる現在、軽くて透明なモダニズムの感覚は、自然にあふれた地方にはよく似合う。何より重く暗い空間に取り囲まれてきた観のある地方には、自由な拡がりと開放的な表現をもつモダニズムこそふさわしいと感じる。その意味では地方の建築もようやく風土という狭い地域主義(しかも半ば便宜的にこじつけられた観のある)にとらわれた表現から解き放たれつつある。少なくとも建築家の関心が薄れてきたことは明らかである。もちろん、土着の文化が生みだした空間の魅力は継承されて当然であることはいうまでもない。

 こんなことを書いたのは、実は山形と山を隔ててわずか60キロ先の仙台に、情報化時代を象徴するような建築イメージを持つ伊東豊雄のメディアテークが出現したことも影響している。なにより身近なところに世界レベルの建築ができたことの衝撃は大きい。それより土着の建築家としてもっと気になる建築は、木質系の材料とガラスを結び付けた表現の慶長船ミュージアムや馬頭町広重美術館である。こういうデザインをみると、土着の建築家の目をひらかせて、地方のごくありふれた場所にたつ建築が大きくゆたかな可能性をもつことを感じさせるからである。ともあれ、ここ数年東北やその周辺にできた外資の手?よそから来たアトリエ派の建築家?によるいくつかの建築は、新しい時代の雰囲気を伝え,黒船来航のように、この地に大きな影響を与えつつある。とすれば、迎え撃つ私たち土着の建築家はそれをどう受けとめ、どう折り合いをつけるか興味深い。少なくともこれからは外資と拮抗する力量が問われるだろう。

 一方で、建築の表現とは別個の問題として、まちづくりや建築の企画や計画のプロセスに、少しずつユーザー参加という形でワークショップが広がり始めていることは何よりもうれしい。特に公共建築の実際の使い手と幅広い意見交換の場が増えてきていることは望ましい傾向である。さらに欲を言えばエンドユーザー参加の機会があれば理想である。私どもは、高齢者福祉施設「とかみ共生苑」のプロジェクトに構想の段階から5年間かかわった経験から、その期間の長さと議論の密度は結果の満足と必ず結びつくことを学んだ。

 何よりそれぞれの分野のエキスパートがひざを交えて議論すれば、化学反応を起こしてあたらしい物質アイディアがうまれる可能性が高まることを、身をもって体験させられた。それは要請があれば何度でも何時でも足を運べるという、地域に腰を据えて活動をする者にのみ可能なことである。土着の建築家としての至福の時でもある。実はそれぞれが自由な立場で発言できるワークショップの現場から学ぶことの大きさははかり知れない。反面不勉強を思い知る場でもある。しかし相互の絶え間ないやりとりの中でもたらされる情報の深さと拡がりの生む成果は大きいと実感している。この経験から、できるだけ企画構想の段階から建築家としてプロジェクトに参加し、ユーザーとの議論を深める機会を多くつくりたいと願っている。むしろ、これまでは誰かに条件を整理してもらい、最終的に形にすることが建築家の仕事であるかのように、建築家自身もクライアントも思い込んでしまってきたように思えるからである。確かに、ユーザーという多様な主体との関わりのなかでは孤軍奮闘をせまられ、「建築をデザインする」という立場からみると忌避したい作業に思われがちである。しかし、その結果がユーザーの声不在の建築という形で今日納税者たる市民に重くのしかかっているのが現実である。これを打開するためには、建築家が日頃から積極的な形でまちづくりに関わりつづけることだろうと思う。地域の人々から信頼がなければ成し得ないのも事実だからである。しかし、そのような要請をうけることも、参加の機会も過去にはほとんどなかったのが現実であるが、最近は様相がすこしづつではあるが状況が変わってきた。

 このように足元を見れば、テーマは山のようにあり、土着の建築家の課題はむしろ拡大している。社会が大きな変革期にある現在、建築家への期待と役割は大きい。地域と密着して設計活動を営むものとしては、否応なく地方が自立して生きるみちや魅力の創造にふかく関わってくる。明白なビジョンを持たない地域は沈没していきかねないからだ。今後はむしろまちづくりに積極的に関わらざるをえないのである。その結果として、土着の建築家としての基盤がより強固なものになるはずである。少なくとも幅広く多様な主体との関わりを忌避することによってではなく、悪戦苦闘の場面をとおして建築家としての構想力を示していきたいと考える。

 私たちはこれまで「山形のあたらしい風景をつくる」という想いで、ひとつひとつの作品が伝統的な建築の魅力と共存し、拮抗する力を与えようと努めてきた。それはモダニズムの平明さと率直さが、やがて自然な形で日本人の心象風景にとけこむ日を、羽田とともに夢見てきたからである。幸いなことに、私たちの事務所は50年を超える歴史と、多様なプロジェクトに関わってきた経験の中で、この地への愛情と責任を感じ取ってきた。これからも決して地域の中に安穏とすることなく、あらたな建築の創造をめざして、遠く深い眼差しをもってこの地で活動をつづけていきたい。

私たちの師である羽田他所夫は金沢の生まれであったが、戦後山形の地に腰を据え、建築の作品にとどまらず、さまざまな分野で近代化を推し進めた生粋のモダニストであった。羽田が生を享けたのは1917年、ロシア革命の年である。その頃の日本は大正デモクラシーや世界恐慌、軍国主義の嵐が吹き荒れ、建築のモダニズム運動の影響とともに、青年期の思想形成に大きな影響を与えたと思われる。そのためか戦後生まれの私たちよりも既成の価値観にとらわれない自由さと、剛毅な精神を併せ持っていた。建築の作品性という面では、モダニズムの原則に忠実な、愚直なまでの原理主義者であった。とりわけポストモダンの風潮には批判的で、主張を最後まで曲げない頑固さが私たち若い世代との軋轢を生んだ時期もあった。モダニズムの揺籃期を過ごした羽田にとって、当然の反応であった。その羽田も他界し、自由で進取の気性に富む精神は現在の事務所に引き継がれた。

こうして21世紀の初頭に建築の世界を展望する時、羽田がこだわりをみせたモダニズムが再び輝きを増しはじめたようにみえる。地方から見ると、反モダニズムから生まれた地域主義すら取りこみつつあると感じる。一世を風靡した、地方の建築とは屋根をのせることかと思わせる単純な風潮はなりを潜め、あらたな展開をはじめた感がある。

私たちがそのことに関心をもつのは、めざしてきた建築がプレモダンな風土的表現を超えたいと願ってきたからである。少なくとも地域の中に封じ込められた建築ではないデザインを求めてきた。それは、建築は常に時代の新しい精神をとりこみながら変化して当然であるし、そうあるべきだと考えるからである。

たとえば素材や工法を工夫することで、土地の風景や文化に同化させるあらたな風土的デザインの可能性もある。モダニズム=ユニバーサリズムの隆盛はそれを勢いづかせると感じている。当然、その隆盛の秘密はユニバーサリズムが情報化社会の建築表現にふさわしいという側面と、少し皮肉な見方をすれば、経済のバブル崩壊という側面のなかでぜい肉をおとさざるをえなくなった建築が、モダニズムの質素な美学を再発見した面がある。むしろ、実態は後者に近いのだろう。

地方が直接世界と繋がる現在、軽くて透明なモダニズムの感覚は、自然にあふれた地方にはよく似合う。何より重く暗い空間に取り囲まれてきた観のある地方には、自由な拡がりと開放的な表現をもつモダニズムこそふさわしいと感じる。その意味では地方の建築もようやく風土という狭い地域主義(しかも半ば便宜的にこじつけられた観のある)にとらわれた表現から解き放たれつつある。少なくとも建築家の関心が薄れてきたことは明らかである。もちろん、土着の文化が生みだした空間の魅力は継承されて当然であることはいうまでもない。

こんなことを書いたのは、実は山形と山を隔ててわずか60キロ先の仙台に、情報化時代を象徴するような建築イメージを持つ伊東豊雄のメディアテークが出現したことも影響している。なにより身近なところに世界レベルの建築ができたことの衝撃は大きい。それより土着の建築家としてもっと気になる建築は、木質系の材料とガラスを結び付けた表現の慶長船ミュージアムや馬頭町広重美術館である。こういうデザインをみると、土着の建築家の目をひらかせて、地方のごくありふれた場所にたつ建築が大きくゆたかな可能性をもつことを感じさせるからである。ともあれ、ここ数年東北やその周辺にできた外資の手−よそから来たアトリエ派の建築家−によるいくつかの建築は、新しい時代の雰囲気を伝え,黒船来航のように、この地に大きな影響を与えつつある。とすれば、迎え撃つ私たち土着の建築家はそれをどう受けとめ、どう折り合いをつけるか興味深い。少なくともこれからは外資と拮抗する力量が問われるだろう。

一方で、建築の表現とは別個の問題として、まちづくりや建築の企画や計画のプロセスに、少しずつユーザー参加という形でワークショップが広がり始めていることは何よりもうれしい。特に公共建築の実際の使い手と幅広い意見交換の場が増えてきていることは望ましい傾向である。さらに欲を言えばエンドユーザー参加の機会があれば理想である。私どもは、高齢者福祉施設「とかみ共生苑」のプロジェクトに構想の段階から5年間かかわった経験から、その期間の長さと議論の密度は結果の満足と必ず結びつくことを学んだ。

何よりそれぞれの分野のエキスパートがひざを交えて議論すれば、化学反応を起こしてあたらしい物質アイディアがうまれる可能性が高まることを、身をもって体験させられた。それは要請があれば何度でも何時でも足を運べるという、地域に腰を据えて活動をする者にのみ可能なことである。土着の建築家としての至福の時でもある。実はそれぞれが自由な立場で発言できるワークショップの現場から学ぶことの大きさははかり知れない。反面不勉強を思い知る場でもある。しかし相互の絶え間ないやりとりの中でもたらされる情報の深さと拡がりの生む成果は大きいと実感している。この経験から、できるだけ企画構想の段階から建築家としてプロジェクトに参加し、ユーザーとの議論を深める機会を多くつくりたいと願っている。むしろ、これまでは誰かに条件を整理してもらい、最終的に形にすることが建築家の仕事であるかのように、建築家自身もクライアントも思い込んでしまってきたように思えるからである。確かに、ユーザーという多様な主体との関わりのなかでは孤軍奮闘をせまられ、「建築をデザインする」という立場からみると忌避したい作業に思われがちである。しかし、その結果がユーザーの声不在の建築という形で今日納税者たる市民に重くのしかかっているのが現実である。これを打開するためには、建築家が日頃から積極的な形でまちづくりに関わりつづけることだろうと思う。地域の人々から信頼がなければ成し得ないのも事実だか
らである。しかし、そのような要請をうけることも、参加の機会も過去にはほとんどなかったのが現実であるが、最近は様相がすこしづつではあるが状況が変わってきた。

このように足元を見れば、テーマは山のようにあり、土着の建築家の課題はむしろ拡大している。社会が大きな変革期にある現在、建築家への期待と役割は大きい。地域と密着して設計活動を営むものとしては、否応なく地方が自立して生きるみちや魅力の創造にふかく関わってくる。明白なビジョンを持たない地域は沈没していきかねないからだ。今後はむしろまちづくりに積極的に関わらざるをえないのである。その結果として、土着の建築家としての基盤がより強固なものになるはずである。少なくとも幅広く多様な主体との関わりを忌避することによってではなく、悪戦苦闘の場面をとおして建築家としての構想力を示していきたいと考える。

私たちはこれまで「山形のあたらしい風景をつくる」という想いで、ひとつひとつの作品が伝統的な建築の魅力と共存し、拮抗する力を与えようと努めてきた。それはモダニズムの平明さと率直さが、やがて自然な形で日本人の心象風景にとけこむ日を、羽田とともに夢見てきたからである。幸いなことに、私たちの事務所は50年を超える歴史と、多様なプロジェクトに関わってきた経験の中で、この地への愛情と責任を感じ取ってきた。これからも決して地域の中に安穏とすることなく、
あらたな建築の創造をめざして、遠く深い眼差しをもってこの地で活動をつづけていきたい。
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