FPの家やまがた青年部の有志一同で山形ボランティア隊に参加してまいりました。3ヶ月以上たった今も現地の状況は行った者でないとわからない、想像を絶する状況でした。もう運ばれた泥の上には雑草が生え始めておりました。
これは日本有数の製紙工場の建物、鉄骨の破損状況からどれだけの津波がきたか想像できます。この海辺の大規模な工場があったおかげでその影になって大きな被害を免れた地区もあったと聞きます。
これは海浜公園です。公園の門と表札?が見えるでしょうか?見渡す限りガレキと廃車の壁でした。
そして今回のボランティア隊では4班ほどに分かれたのですが、私たちの班は民家の泥上げ作業。私たちはなぜか大工さんだと思われていて、床板の撤去担当でした。海から500mくらいの場所だった為、2階の床付近まで津波が押し寄せていました。天井裏の断熱材も泥だらけ、天井裏から包みが出てきて、家の人に渡したところ「いくら探しても見つからなかったのに」「もうでてこないと思っていた」と喜んでもらいました。土地の登記簿などの重要書類が入ったもので、1階の和箪笥の中にしまわれていたものだったらしいです。家が流されてしまった方はもちろんですが、幸いにも家が残った方も、住めるようになるには相当な苦労があることを身を持って感じました。少しでも助けになれたら幸いです。
FPの家 山形 斎藤工務店
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