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▼「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」 三上博史 他

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ  6/15 in 仙台電力ホール


2002年に公開され、日本でもヒットした映画「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」。
もともとはオフブロードウェーでロングラン上演された舞台だけれど、
今回観てきたのは、その日本版。

主演は・・・三上博史!!

実は私のヘドウィグ歴(なんじゃそりゃ?)はつい最近始まったばかり。
映画が公開されていたときには残念ながら観られず・・・。
やっと今年DVDで観て、ヘドウィグにオトされ(笑)、
その後すぐ日本版舞台の話(しかも仙台でも上演!)を知って飛びついたのだ。

主演が三上博史というのは、合ってるような合わないような微妙だなぁと感じたんだけど、めざましTVで東京での公演の様子がオンエアされたのを見て、ムムム(^^;

ビジュアルがすごい(でもそれはそれで良い)。
けど髪型というかウィッグが・・・。(映画版とはだいぶ・・・)
テレビカメラのせいか照明のせいか、妙に三上博史の額の青筋が目立つ目立つ。

舞台を観にいった時、あの青筋、気にしてしまいそう・・・(笑)
などと余計な心配をしてしまったりした。

そんな期待と不安の入り交じった公演の始まり!

青筋のことなんて、キレイさっぱり忘れちゃいました(笑)。

本当に三上博史は凄い!

どんな派手なメイクもウィッグも衣装も、三上博史が三上博史であることを
隠しきれていないのに、それでも不思議と三上博史がヘドウィグに見えてくる。

三上博史自身の存在を忘れるほどヘドウィグになりきっている演技というんじゃない。
三上博史はあくまで三上博史で、彼がヘドウィグを演じているのを常に感じさせるのに、それでもそこにいるのはまさしくヘドウィグ。

舞台はコンサート形式で、曲とヘドウィグの語りが交互に続き、
語りの中でヘドウィグの人生が明かされていく。

観客は、ロックコンサートの観客になり、ヘドウィグの物語の聴き手にもなる。

自分を、周りを、世界を、せせら笑い、笑い飛ばしながら話すヘドウィグ。
その笑いは、はじめのうちはヘドウィグの笑いなのか、三上自身の笑いなのか、
わからないくらいあやふやな境界線の上にある。

それがしだいに、観客が意識しないくらいいつの間にか三上とヘドウィグは一体化している。
そして、その笑いは、ヘドウィグの孤独な心の軋みとなって聞こえてくるのだ。

三上博史の歌のうまさは、かつて某ドラマの挿入歌(?)としてリリースされた
CDを買ったこともある(^^;)くらいなので知っていたけれど、
それでも、ライブで聴く、しかもヘドウィグとしての歌のうまさには
正直驚かされた。

映画でも舞台でも、楽曲の良さ、魅力がこの作品の持つパワーの多くを担っているが、その点でも三上博史の歌唱力はそのパワーを十分に引き出すものだった。

映画版で随所にイラスト(アニメ)が挿入されていたように、この舞台でも
バックのスクリーンにイラストや写真、歌詞や字幕が効果的に挿入されている。

そしてラストにスクリーンに映し出される、ある人物。

探し求めていた自分のかたわれ、表と裏、本当の自分・・・。

スクリーンに映された、そのからくりに驚きを感じると同時に、
私の中で一つの解釈が生まれ、それは妙に(映画で観たラストよりも)
納得できるもので、何かモヤモヤしたものがストンと落ちるような感じがした。

それはまた、一瞬のことで、また新たな解釈が生まれては消えたけれど。

ただ、映画未見で初ヘドウィグだった私の妹にとっては、終盤はわかりにくく、
そのからくり自体気づかなかったらしい。

でも、とにかくヘドウィグは後から解釈を捻るものじゃなくて、
観ている瞬間、瞬間に感じるもの。

もう一度、今度は映画版で感じてみようと思っている。
またいつか生ヘドウィグに会えることを楽しみにしながら。




:そめ

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