出羽・最上の戦国関連情報(@endnob)

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☆戦国期の南奥羽地域(現在の山形県・宮城県・福島県)には、同じ国に住んでいるという緩い連帯意識があったというのは興味深い。現代にも活かせると思う。
☆伊達輝宗は、天文の乱により乱れた南奥羽の秩序回復に努め、各大名・国衆が共存共栄できる体制構築にある程度成功したといえる。政宗の陰に隠れて目立たないが、この政治手腕はもっと評価されてよいと思う。
☆輝宗が作り上げたこの体制をぶち壊したのが政宗、というのが、昨日の講師の先生方の統一した見解のようです。
☆もし、粟之巣の変事で輝宗が横死しなければ、方針の違いから伊達家お得意の父子喧嘩が始まっていた可能性も考えられる。
☆従来の共存共栄を目指す考え方ではなく、領土拡張方針を掲げたのは、政宗よりもその伯父である最上義光の方が早い。
☆そのため、最上義守と義光親子は対立することとなり、共存共栄の考え方を同じくする輝宗は岳父である義守の味方につくわけです。
☆でも結局は、義光や政宗のような積極策の方が、関ヶ原後の結果をみれば正解だったのかもしれませんね。
2011.12.11:endnob:count(1,430):[メモ/twitterのつぶやき]
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