endnobのノート
▼天正最上の乱(1)
☆最上義光と父義守が争った「天正最上の乱」については、伊達輝宗が自筆で日記(天正2年伊達輝宗日記)をつけている。このため、乱の全容を詳細に知ることができ、現在は研究が飛躍的に進んでいるという。
☆伊達輝宗の日記には「中野」が登場するが、これは中野城にいる最上義守(出家して栄林と号す)のことであり、義光の弟といわれてきた中野義時のことではない。というか、中野義時の存在自体が認められない。
☆天正最上の乱は、家督は譲ったものの、自分の意見に従わない義光に業を煮やした父義守が、周辺国人衆を味方につけ、娘婿である伊達輝宗に援軍を頼んで義光を攻めたというものである。
☆最上家改易後に、最上家の遺臣が書き記したという「最上記」などには、この父子喧嘩のことは出てこない。最上義守を憚ってということなのだろうか。
2012.02.19:endnob
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