endnobのノート
▼出羽の名馬
☆谷地の白鳥十郎長久は、織田信長に使者を送り、出羽の支配権を認めさせようとした。その際に「白雲雀」という名馬を献上したという。
☆それを知った最上義光は、志村光安を使者にたて、鷹や駿馬などの献上品と最上家の系図を携えて織田信長に面会させたといい、「最上出羽守殿」と書かれた返書をもらうことができた。
☆この時かどうかは分からないが、織田信長に「大河原毛」という名の駿馬を献上しているらしい。その大きさは「十寸五分」だとか。
☆戦国時代以前の馬の大きさは、四尺(約120センチ)を基準にしていたといい、四尺を超える馬の場合は、四尺を省略したらしい。なので正確には四尺十寸五分(約153センチ)になる。
☆体高が四尺八寸(約145センチ)を超える馬は、「八寸にあまる」と呼ばれ、巨大馬ということになるらしい。前田慶次の松風もたぶんこのくらいかな? 最上義光が贈った「大河原毛」は、これより更に大きい「十寸五分」だw
☆最上義光は、徳川家康にも「両國」という名馬を献上している。奥羽両國に並びなき馬であることから、こう名付けられたという。家康は非常にこの馬を愛し、常にこの馬に乗っていたという。
☆義光が「両國」を献上したのは、家康がまだ三河と遠江のみを領していた頃というから、1580年前後のことと思われる。
☆小牧・長久手の戦いでは「両國」に騎乗していたのかなあ。関ヶ原の戦いでは「白石」という馬に乗っていたという。この頃には引退していたかもね。
2012.02.05:endnob
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