endnobのノート
▼「なかたち石」と明智遺臣
☆今回の山形市報には、小姓町の「なかたち石」についての記載がある。「なかたち石」とは、尋ね人などの紙片を貼って、人々が情報交換を行う石碑みたいなもの。山形市報2012年2月1日号7ページ
広報やまがた
☆明智光秀の家臣が、光秀の位牌を奉じて山形に逃れてきて、江波孫左エ門を名乗り漢方薬の商いをしていた。その孫左エ門が職業紹介を装いながら、明智の遺臣の消息を尋ねるため「なかたちの木」を建てたのが「なかたち石」のはじまりだとか。
☆明智といえば、最上家家臣のなかに、斎藤伊予守光則という人物がいる。最上記の家臣団リストにおいて「太閤より御預け」の記載がある人物である。このことから、明智家家臣の斎藤家との関連があるのではないかと思われるそうだ。
☆明智光秀の妹婿が「斎藤伊予守」という説もあるみたいだから、ホントに関係あるかもしれないですね。となると、「光則」は「あきのり」ではなくて「みつのり」と読む可能性も出てきますね。
☆斎藤伊予守光則は、最上義光から長男・義康暗殺事件の調査を命じられた家臣。最上川の開削工事の責任者でもあり、他国から多くの技術者を呼び寄せて工事を完成させたという。
2012.02.04:endnob
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