endnobのノート

▼仙台藩重臣・遠藤基信

☆昨日買った資料本みてるけど、遠藤基信って、信長、秀吉、家康からも書状を受け取っていたんだな。
☆修験者の子である基信が、伊達輝宗の第一の側近となり、伊達家の外交を取り仕切るなんて、当時の身分社会ではかなりのレアケースだろう。それだけ、基信に才能があったということか。
☆しかも、これだけ取り立てられたのにも関わらず、譜代の重臣たちと揉め事が起きていない感じがあるのは不思議。
☆伊達政宗は、「遠藤山城は名誉の者なり、来年の事を考えるに、十に八つは外れぬなり…」と語ったとのことである。
☆連歌が上手なのは知っていたが、舞の名手でもあったことは初耳。蘆名盛隆が書状に「主役で一番演じていただき、一緒に演奏してみたい」と書いている。
画像 ( )
2011.12.11:endnob

HOME

(C)

powered by samidare