英のノート

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新書を出しました。

歴史を学ぶことを通して未来を見すえ、「行きづまった日本で、私たちは次に何をすべきか」をご提案した本です。
                         
タイトルは
『米沢学事始 上杉鷹山の訓(おし)え
  明るい未来を拓(ひら)くために…』
                 
                         
【こんな方に読んでほしい…】
未来を担う若者・子どもたち,子どもを育てる大人たち,経営を担う方,雇われて働く方,そして政治にかかわる方々…。
                                
                              
                    
【定価】 1冊1200円
【お求め先・お問合せ先】 九里学園高等学校
                  0238−22−0091
  遠隔地からお求めの方は…
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            (手数料120円をご負担願います)

       口座番号02250−3− 53068  遠藤 英
(尚,着払にて送付いたしますので送料をご負担願います)
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2011.10.21:ei01:[メモ/コンテンツ]
5月27・28日におこなわれた山形県 書道部強化振興研修会(於天童)に,1・2年生部員9名で参加してきました。
1泊2日の研修でしたが,200名に及ぶ県下高校書道部員とともに,すばらしい先生方の指導のもとで,目に見える上達をとげてきました。
今年度は,昨年度以上に審査会・展覧会などに出品し,元気よく活動していきたいと思っています。

2011.06.06:ei01:[メモ/コンテンツ]
{PDF} ダウンロード _Adobe PDF

新年度がスタートいたしました。
4月7日始業式の日に発行いたしました,第3学年だよりを掲載します。


2011.04.13:ei01:[メモ/コンテンツ]
2月24日(木)産経新聞発信記事として,ネットニュースに「日本の高校生は男女ともに“自分は価値ある人間”と考えている割合が突出して低」い,と出ていました。
その記事によると「男女ともに“私は価値のある人間”と自己評価する高校生の割合は日本が最低で36.0%。ほかの3国と比べ大幅に低く、米国は89.1%、中国は87.7%。3位の韓国でも75.1%だった。」とのこと。
そして記事は「同研究所(財団法人日本青少年研究所)では『日本の高校生は、根拠もなく自分を肯定できない傾向があるようだ。謙譲な精神は重要だが、教育方法を考えないと、国際的な競争で自己PRができず不利な立場になるかもしれない』と分析している。」と結んでいる。

2011.02.25:ei01:[メモ/コンテンツ]
かねたん&電灯オブジェ,点灯しました。

観光客のみなさんが記念写真を撮っていかれます。
すべり台は大人気!ひっきりなしで,2時間で削れてしまい,修繕&修繕です(~o~)
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2011.02.13:ei01:[メモ/コンテンツ]
九里学園高校2年生で,雪像と電灯オブジェをつくりました。
雪像はお城に立つ「かねたん」&すべり台。
電灯オブジェ(校舎2階窓)はジョンレノン「イマジン」。
ぜひ,みなさん,九里学園高校まで足をお運びください。
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2011.02.12:ei01:[メモ/コンテンツ]
80人がかりで雪像制作!
制作場所は九里学園高校昇降口左側(東側)。
男子を中心に,制作場所ごとにチームを作って一気に作っていきます。
女子を中心に,今年の干支ウサギのオブジェも並んで生きます。
仕上がりは乞うご期待!
とてもクオリティの高い作品が出来上がりました。
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2011.02.10:ei01:[メモ/コンテンツ]
阪神淡路大震災を思い出し,もしこちらで災害が起きたら,命の危険にさらされる生徒が少なくないと思いました。
今日の大雪を見ながら,大地震,大雪,停電・・・などの災害を考えると,防寒具を着てこない生徒は危険な状況に追い込まれると思うのです。
先日も鳥取県で大雪による停電が起きましたが,停電になれば電気に頼るすべての暖房・給湯がストップします。
災害時の交通のパニックを考えると,電車や車はあてにならず,間違いなく携帯電話は使えなくなります。
下校途中など,生徒が屋外にいる場合はもちろんのこと,たとえ校舎内にいたとしても防寒具を持たない生徒を寒さから守るすべはなくなるでしょう。
何もかも便利な時代,あまりに機械に頼りすぎて,自分の力で生きることのできない日本人は増えていると思います。肉体的な力は衰えていなくとも,考え方・生活習慣・意識など,機械を当てにしすぎた毎日にどっぷりつかってしまいがちです。
しかし,自分を守ってくれているそんな機械類は,災害ではほんの数十秒・数時間で機能しなくなる事を,意識から外してはいけないと思います。
便利なものは大いに活用すべきだと思いますが,自分の命を守るのは自分自身だということです。

2011.01.17:ei01:[メモ/コンテンツ]
 私が学ぶ螳螂拳(とうろうけん)など中国武術は,日本や英語圏では「カンフー」と呼ばれています。「カンフー」とは中国語で「功夫(コンフー)」と書き,長い時間をかけて身につけたもの,という意味です。そして,「功夫」と同じ発音の言葉が「工夫」。話していると「功夫」と「工夫」は区別できません。
 つまり,「カンフー」とは,工夫(より良い技術・とりくみ方にするための修正)を長い時間かけて積み重ねた末に修得したもの,ということになります。
 もちろん「功夫」は,スポーツ・料理・書道・音楽・学習・・・あらゆることに大切です。ただ,武術にも不可欠な「功夫」が外国人の間で武術の代名詞として使われるようになっただけです。
 皆さんも,何かを本気で身につけようと思うならば,ぜひ「功夫」を意識してみてください。
 私が今まで出会った言葉の中で,「君は功夫があるね」以上の褒め言葉は見つけられません。

2011.01.11:ei01:[メモ/コンテンツ]
昨日,2年生の進路別学習会がおこなわれました。
大学・短大進学希望者は学部別に4大学から先生に来ていただいて,専修学校進学希望者は10分野に分かれて専修学校の先生方から,進学後の学習の事や進学に向けてのアドバイスなどをいただきました。そして,就職希望者は,本校進路課のベテラン先生より,みっちりと指導を受けました。
九里学園高校では,入れるところに入る進路実現ではなく,入りたいところに入るための進路指導に力を入れています。2年生は今,自分の人生と取り組んでいるのです。
(写真は4年制大学希望者の1教室)
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2010.12.10:ei01:[メモ/コンテンツ]
「一九七七年ごろに,若者の意識に大きな変容がみられた」という研究論文を読んだ。「軽いノリがうけて,『まじめ』への攻撃が顕著になった」というのである。ちょうどその頃,テレビでは漫才ブームが起き,「コマネチ!」に代表される「ノリ」を真似する同級生が人気者になった。それに連動するようにコント番組が数多く作られ,ゴロンボ警部・しらけ鳥・ナンデスカマンなど,ドリフターズとはまったく違う「軽いノリ」が流行した。アニメの世界でも,スポ根アニメは下火となり,ヤッターマンなど「軽いノリ」が徐々に存在感を増してきた時代である。「まじめ」君はクラスでも委員長の絶対条件ではなくなり始め,ついには「何マジメぶってんなや」とつつかれるような空気である。
 一方,この研究論文は,もう一つの変化をとらえて論じている。一九七七年以降の傾向として,若者を対象に毎年行われている「自分の性格をどう思うか」という調査結果に変化が生じたというのである。それ以後その傾向は変わらずに現在に至っているのであるが,ある年の調査を見ると,ダントツのトップ3が「1位元気,2位よく話す,3位明るい」である。これに対し,同年のアメリカは「1位親しみやすい,2位親切,3位友情に厚い」,韓国が「1位友情に厚い,2位親しみやすい,3位明るい」である。「親しみやすい」「親切」「友情に厚い」は相手の立場に立って客観的に自分を評価する観点に立っており,「元気」「よく話す」「明るい」が自分の視点から自分を評価する視点であることから,論文は「日本の若者の『自己本位の自己像』が際だっている」と分析する。
 前年の一九七六年は,ロッキード事件が発覚した年である。高度経済成長のドン,豊かさの牽引役だった田中角栄に対する国民の否定観,政治に対する不信感が噴き出すきっかけになった出来事である。「豊かさ」と「汚いお金」の共存。「権威」と「犯罪」の一体化。それまでのやんちゃな小学生の中には,将来の夢に「総理大臣」を口にする子どもが決して稀ではなかったが,日本の頂点は「正義」のヒーローではなく,「汚」く「不真面目」な「悪者」と化したのである。はたして,その後の日本の若者はどこを目指して努力すれば良いのか。若者たちは,総理大臣になることよりも,クラスの人気者になることを望むようになった。「まじめ」に努力を重ねるよりも,「楽しい今」を大切にするようになった。こうして友だちは,切磋琢磨し合う「良きライバル」・「仲間」から,「今」を共有する「仲良し」になった。
 研究論文はさらに続ける。「『まじめ』の崩壊は先進的産業社会が共有する病理である」と。「産業社会が育てた豊かさ」が人々を「自己規律」から「現実享受」へと向かわせ,「産業社会そのものが自己崩壊の傾向を内包してしまう」というのである。
 私が読んだ研究論文は,『日本通史 第21巻』(岩波書店)に掲載されたものである。政治や経済の抱える問題・課題が何も無いところから突如として発生したものではなく,これまでの歴史の流れの延長線上にあるように,現在の日本の若者が「まじめ」に見られることにストレスを感じ,不真面目でルーズな服装を好み,自己本位の髪型をし,相手の評価よりも「頑張っている自分」に対する自己評価が優先する傾向にあることは,歴史の産物ということである。
 かく言う私も,一九七七年は小学五年生,まさに漫才ブームに夢中になり,「オレたちひょうきん族」で育った世代である。しかし私は大学時代,今も決して忘れることのできない教えを受けた。親しく可愛がっていただいた教授の何気ない会話に私が「軽いノリ」で応じたとき,教授は急に笑顔が消え,「軽いノリ」は「お前に自信が無いからだ」と真顔でつぶやいたのである。私は心が凍りつくような思いだった。それを受け流す「軽いノリ」など,みじめにしか思えなかった。自分に,他人に,物事に,世の中に,「まじめ」に向き合えないのは,「自信の無い」人間なのだと,はっきり言われた。
 歴史は人の手で創るものである。しかし,それは未来を創るということであり,言い換えれば今はまだ目の前に存在していない,目に見えないものを創るということである。夢を語る人,可能性を追求できる人,自分の理想像を描ける人,それはすべて見えないものに取り組む人である。そういう人が未来を創る。一方で,歴史に押し流される人,夢のかなわない人,現実に振り回される人は,目の前の現実しか見ていない。現実の世の中は,いったん出来上がり固まってしまうと,そう簡単には変えられない。目の前の日常しか見えない人は,それがどんなにつらい現実であっても,それを変えるにはたいていは手遅れである。
 目の前の現実ではないものを見る取り組みは,「学問」である。私が専攻する日本史は,目の前の「今」ではない過去の世の中を見て,“温故知新”という歴史を学ぶ意義にならって未来に取り組む学問である。肉眼では見えない小さなもの,遠くのもの,外側からは見えない内側を見るのも「学問」である。他人が何を言おうとしているのかを読み取るのも「学問」である。目では見えないハーモニーを創り出すのも,今存在しない物を創作するのも「学問」である。但し,目の前に並べられたものをひたすら暗記するのは「学問」ではない。
 九里学園の教育は「学問」であるべきだと私は思う。教育の,生徒一人一人の,今はまだ目に見えていない理想を追いかけ,創り出す取り組みである。決して,目の前の現実に慣らすための訓練所に終わってはならない。そのために,「まじめ」な努力が「軽いノリ」・「自己本位」よりも大切だとわかる若者の園になってほしいと思う。なぜならば,一人一人が自信を持って人生を歩み出してほしいからである。


2010.12.04:ei01:[メモ/コンテンツ]
奈良・京都コースは,ユニ・コース女子ばかり29人の「日本文化の源流を探る」コースです。(詳細は一番下をご覧ください)
 春からテーマ学習を積んで,11月9日(火)〜13日(土)の5日間で,奈良・京都充実の研修の旅をしてきました。
 ・・・
主な見学地は,歴史の流れに沿って
<奈良県>飛鳥(聖徳太子・大化の改新の舞台)→橿原(かしはら…奈良県最大の考古学研究所
       の博物館)→奈良・斑鳩(法隆寺・薬師寺・東大寺・興福寺・唐招提寺などの白鳳・
       天平文化&東大寺などの鎌倉文化の世界遺産群)→その他,前方後円墳・大和三山
       などなど
<京都府>宇治平等院鳳凰堂(平安時代国風文化のシンボル)→三十三間堂(鎌倉文化のスゴさ
       に圧倒されます)→金閣・銀閣(室町時代を代表する二大遺産)→妙心寺(直江兼続
       ゆかりの学問寺)→西本願寺→清水寺(江戸幕府によって建てられた「清水の舞台」。
       でも人気は恋愛成就の神様「地主(じしゅ)神社」。)など
  とくに西本願寺(写真)は,一般客は受け付けていないところなのですが,特別にお願いして
  九里生だけ隅々まで見学させていただきました。桃山美術の至宝に,生徒たちは何度も感動の
  声をあげました。
 ・・・
旅行中はずっと天気に恵まれました。しかしそれ以上に,ガイドの皆様には本当に恵まれました。九里の日本文化コースは学習意欲が高いということが定着していて,ガイドさんもハイレベルの人ばかり。学習姿勢・マナー・身なりの3拍子揃った生徒の姿に,ガイドさんたちも喜んでくださって,熱のこもったガイドをしてくださいました。
また,来年から見られなくなるものもあり(せんとくん・薬師寺東塔・京都南座など),いろんな意味でラッキーな旅行でした。
事故も無く,お土産もたっぷり買って,京都の食文化にも触れて,
充実&充実,楽しい&楽しい5日間でした。
     ・・・
  ●九里では,2年生の教科目選択の1つとして「自主講座」という授業があります。学習テーマ
   ごとにコースを選択し,春から時間割の中で学習をした上で「研修旅行」をする授業です。
     ユニバーサルコース男子は沖縄研修,国際理解(オーストラリア)の2コースから選択
     ユニバーサルコース女子は芸術文化(東京),日本文化(奈良・京都),自然(沖縄)
                     ,平和(沖縄),国際理解(オーストラリア)の5コースから選択
     プログレスコースはハワイ研修となります。

2010.11.19:ei01:[メモ/コンテンツ]
昭和の時代,日本は完全雇用を実現させました。しかしそれは,高度経済成長のような好景気によるものではなく,何重もの下請制度により1つの製品に多くの労働者が関わる仕組みを作り上げることで実現されたもので,その結果として国民所得が安定し高度経済成長にも結びついたのです。
しかし,完全雇用などという夢のような状況が実現したのは,歴史上,後にも先にもこのときだけ。製造ラインのロボット化,下請工場の海外移転,女性の社会進出など,労働者の数に対して仕事場はどんどん狭くなってきています。
完全雇用が期待できないこれからの時代,仕事に就けない子どもを養って大人が頑張るやり方は,将来性がありません。大人は子どもより先に死んでしまうし,子どももやがて自分の子どもを養わなければなりません。よって,もし全員が仕事に就けないのであれば,若者が仕事について親・祖父母を養うことを目指さなければなりません。そのために,子どもは誰に(どこで)何を学べば良いのでしょう?
確実に言えることは,学校教育もこれまでどおりでは駄目だと言う事です。いつの時代にも通用する人間教育と,社会に対応できる力を養う事が,学校教育の本分だと思いますから,単に教科の点数を取れるようになるとか昭和の「社会」観に基づく価値観・行動規範・能力を教えていたのでは,(教えている先生は食べて行けるとしても)子どもたちの将来は真っ暗です。
私たちも,保護者の皆さんとはもちろんのこと,様々な分野で社会を担っている皆様とコミュニケーションを図りながら,いま子どもたちにどのような学校教育が必要なのかを模索していかなければなりません。

2010.06.22:ei01:[メモ/コンテンツ]
5月29日(土),30名以上の参加を得て,米沢城下町中心〜東部の探検を行いました。城下町の概略を確認した後,外を歩きました。
たどったコースは,
 九里学園高校→大手門前通り・御入水川・大手門広場→二の丸(松岬神社)→本丸(上杉謙信公祠堂・上杉神社・春日神社・菱門橋)→二の丸(二の丸鬼門)→殿町通り(御入水川)→西條天満神社→平林屋敷跡→武者道・三の丸堀・土居跡(西條天満神社裏手)→聖徳太子堂・米井→大町・札が辻(東寺町)→庚申堂→秀公園(三の丸堀跡)・東町皇太神宮・金剛愛染明王堂→志駄屋敷跡→九里学園高校(竹俣屋敷跡)
です。2時間以上の歩きとなりましたが,幸い天気も崩れず,楽しい時間となりました。
ご参加いただいた皆様,ありがとうございました。
第2弾6月26日14:00米沢城三の丸南・西部めぐりをお楽しみに。

2010.06.01:ei01:[メモ/コンテンツ]
鷹山大学講座「直江兼続がつくったまち米沢を歩く」
城下町米沢を4ブロックに分けて,実際に歩きながら直江兼続たちがつくった城下町を検証します。
 第1回 いよいよ5月29日(土)14:00〜17:00 九里学園高校集合
  第2回 来る6月26日(土)14:00〜16:30 九里学園高校集合
  第3回 7月24日(土)同上 西部コミュニティーセンター前集合
  第4回 8月7日(土)同上 法泉寺文殊堂前集合
経費は700円×4回(その都度納入)
申込は九里学園高校 22−0091
   (まだの方はお急ぎください,2回目からの参加も可能です)



2010.05.27:ei01:[メモ/コンテンツ]
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