逡巡

6月26日(金)  晴れ

 

比較的ゆっくり、5時半頃に目を覚まして起きる。

今日もお天気がよく、庭先のアジサイの花がそろそろ咲きだすかと見ると、まだ粒々の蕾が付いていて、葉っぱにはバッタがくっついていた。

 

娘を園に送り、あとはたまった書類を片付け、月末の支払いをチェックし郵便局に行ったり雑用をこなす。

 

午後からは明日の法事の準備を行い、夕刻前に市立病院に入院している友人を見舞った。

 

友人は、家の屋根のペンキ塗り作業中に落ちて、足を骨折したとのこと。

幸い、足から飛び降りるように落ちたため、頭や腰や脊椎などを損傷することなく、至って元気そのもので、ただ歩けない(^^;

それでも、月明けに手術をして一ヶ月半ぐらい養生しなければならないとのことで、大変である。

運動神経のよい彼でもそんなことになる。

50代中盤、やはりいろいろ気をつけなければいけないのだと感じる。

先日、駐車場の車止めに躓いて手から先ついて、擦りむいてけっこう痛かった。

素知らぬふりでいたものの、今までこんなことって経験なかったんだ。

年相応に気をつけねばならぬ。

 

 

さて、今迷っていることがある。

最近出版されて話題になっている『絶歌』を読むべきか、どうか。

書店によっては置かないところもあるようなのだが、米沢の書店ではそれぞれ扱っていた。

ただし、A書店ではビニール袋で包んであり、品切れ中。

B書店ではビニール腰巻のように巻いて、開かないようにしてあり、平積みたくさんあった。

C書店では、まったくそのままで、2冊だけになっていた。

 

初版10万部が売り切れ、5万部を追加出版するらしい。

 

この本が出版に至るまでは、出版社と著者である少年Aとの間で様々な問題があったことが、週刊誌等のメディアで報じられている。

少年Aとは、約18年前、14歳の時に別の少年を殺害し、その遺体の一部を学校の門に晒したなどの、異常な事件として世の中を騒がせた、あの事件の犯人である。

少年は、32歳ぐらいになっているはず。

少年法で裁かれ、少年矯正施設などで、その刑期を矯正または医療による治療などを受けて、ある時期にそこから出て、社会に復帰していることは間違いない。

 

その元少年Aから、ある出版社に原稿が何らかの形で持ち込まれ、出版社と(たぶん)本人とのやり取りを数年間続けたが、結局その出版社は出版することを断念したらしい。

それは、被害者とその遺族に対する謝罪や、罪を犯したことの悔恨という部分がどうしても見出すことが出来なかったということと、彼の身元が詳らかになっていないという大きな問題点があったようである。

その後、どのような経緯があったかは分からぬが、その本は他の出版社から世に出されたのである。

 

正直言えば、読みたいと思う気持ちもあり、また遺族の心を踏みにじるよう内容(読んでないからわからぬが)を読んでよいものだろうかというのが、両方あるのだ。

「フィクションだと思って読んだ方がいいっさ」と勧めてくれる人もいる。

もう、10万分以上も世に出てしまったのだから、私が読もうが読むまいが、社会的にはどうでもよいことかもしれないのだけれど。。。

 

ノンフィクションであり、被害者が分かることを書く以上、著者は元少年Aでよかったのだろうか。

自分の身を安全な場所に置いて、出してよいものではない、そんなふうには思っているのである。

 

2015.07.16:dentakuji:[なあまず日記]