七夕とご縁

7月7日(月) 雨のち晴れ 午後から雨

蒸し暑くなった。

七夕 一年に一度の素敵な逢瀬があればよいのだけれども・・・、なにかとまぁ いろいろありまして。

 

親族に関わる問題で、あちらこちらと連絡を取り、足を運ぶ。

何とかなることと、なんともならぬこと、いろいろあって、腹を立ててもしょうがないのだが、匙を投げたくなってしまう瞬間もあったりする。

でも、それに関わって苦労してくださっている方々のことを思うと、そんなことも言っていられぬので、私の立場でできることはなんとか応えようと思うのだ。

 

 

さて、翌日、セカンドホーム事業でお迎えする学生さん達に、夕食何をお出しするか、相談して、とりあえず使いたい野菜をもとめに産直を2~3か所回る。

わが家の畑は、サルの食わないようなものしか植えていないし、まだ育ってないので、残念ながら使えません。

 

夕刻、相方と娘が帰ってきた。

実家のばあちゃんに甚平を買ってもらってきて、さっそく「着る!」と言って着せてもらっている。

う~む、昭和っぽい顔立ちゆえ、和的な服装や模様が似合うなぁ(^^

七夕の夕べ、最後はよかったなぁ。

 

 

 

 

7月8日(火)  晴れ 暑くなった   夜から雨が降り出し朝方にかけて強い雨降り

 

毎月恒例の大荒沢不動尊の登拝日で、朝から昼までのプチご精進。

娘を園に送ってから、大荒沢へ。

草刈りなどの段取りを一応考えていったのだが、諸々忘れものが多く、ご法楽を上げ、掃き掃除をし、一服して帰ってきた。

午後からは、お不動様のご縁で昔からお世話になっている家の先代の奥様の葬儀があり、伴僧として出仕させていただいた。

 

大荒沢の向かい側に大師山という800mぐらいのこんもりとした山がある。

そこは、大同年間の初年頃に、弘法大師がおいでになって山頂で護摩の修行をされ、そこから大荒沢が霊地であると見て、お不動様を祀られたとされている。

その当時からそのお宅は大師山のふもとにあったという。

もう現在は市街地に引っ越されているのだけれど、そこにもお大師さま縁のお不動様が祀られている。

 

そして、夕刻からはセカンドホーム事業の学生さんが来る。

お部屋を片付けたり、お掃除とお料理と、家族が手分けして行う。

18時30分頃に来宅予定で、私は16時45分頃帰宅してそれから、足りないものの買い出しとお料理。

お料理は、ばあちゃんと、相方、私とそれぞれとりあえず一品作ることになっている。

 

あっという間に、18時30分。

米沢女子短大の学生さん3人がやってきた。

まだ夕食の支度は整わないので、じいちゃんが御茶出し。

娘は、恥ずかしがって行くことができないでいる・・・。

2歳児ってこんななのかなぁ。

 

ようやく準備を終えて、ご挨拶。

いやぁ、高校を卒業して数カ月、まだ18~19歳の娘さん達、大人でというか立派ですね。

自分のその頃を思い出してみて、こんなにちゃんとできてただろうか?っておもうぐらいしっかりしたレディたちです。

それぞれ、福島・宮城・秋田から米沢に来て一人暮らしをされている。

いろんなお話をして、ご飯を食べてもらい、楽しい時間になった。

娘も、すこしずつ慣れるが、まだ近くに行くこともできないでいるようだ。

 

家庭料理そのものだったのですが、いっぱい食べていただいて、良かった。

わが家は、いっぱい食べる人、大歓迎です。

 

たちまち時間は経ち、予定の21時近くなってしまったので、送迎のタクシー会社に1時間延長という連絡をして話の続き。

彼女たちは3人とも、米沢は雪国でしかも夏は暑くてたいへんなとこだ、そう言われてきたとのこと。

できれば、2年間という短い時間だけれど、米沢にもいいとこがあると感じていってもらいたい。

22時、名残惜しいけれど、さよなら。

また来てね!

 

翌日、フェースブックを見ていたら、他のお宅などでの夕食の様子がアップされているのがいくつかあって、焼き肉をしていたり、わざわざ蕎麦を打ってもてなしたり・・・というのがあって、「なんだかわが家は貧弱で、ゴメンネ。。。」という感じ。

これも、巡り合わせというもので、また機会があったら、今度はご馳走いたしましょうね!

 

そして、一枚も写真も撮ってなかったこと、連絡先の交換もしてなかったことに気がついた。

 

※後日、お礼の葉書をいただき、それでなんとか連絡をとることができそうです。

 

 

 

2014.07.17:dentakuji:[なあまず日記]