嫌な感じと覚悟

6月3日(火) 晴れのち薄曇り

 

朝6時前に、家の電話が鳴り・・・

ちょっと嫌な感じで℡に出る。

知らせの電話ではなかったのだが、親戚の伯母の調子が悪いらしく、困って相談の電話であった。

 

自分の両親が、もう80歳ぐらいになっているのだから、叔父や叔母が高齢なわけで。

しかも、二人とも兄弟の下の方なので、いろいろ起きる。

 

いわゆる、本家には、何かと思わぬことが関わって来るものらしく、去年あたりからは、親族の不始末に関して、いろいろとあって悩みの種になったりもする。

親族でも何でもない人の立場から見れば、たとい従兄弟であっても関わりあるものととらえられることもある。

実際のところ血縁こそあれ、全く付き合いもなく、行き来もなくなっていたりするのだけれども。

仕方ないので丁寧に説明をしてご理解をいただく。

それでもだめなら、静観するよりないみたい。

 

さて、プランターに植えたミニトマトにはもう花が咲いていた。

花が終ればもう順々に実がなるのだろうかね。

 

本日、相方が仕事で遅いため、娘を迎えに行き、夕ご飯を作って食べて、風呂に入って就寝。

 

 

 

6月4日(水)  晴れ 風がありやや涼しい

 

午前中、ご祈祷があって米沢市郊外の住宅地へ。

住宅地というのは、家ばかりがいっぱいあって(当たり前ですね^^;)、初めて訪ねる家は、なかなか訪ね当ることが難しいものだ。

番地をナビに入れて探していっても、最後の詰めのところはけっこうアバウトだったりする。

新たに家が建ったり、家のどちら側にというところまではわからないことがあるから。

それでも、何とか15分遅れでたどり着き、なんとかご祈祷させていただいた。

 

午後からは来客の応対。

 

そんな今日の話題の中で、「原発ゼロ」ということについて。

東日本大震災により、福島の原発が制御ができなくなり、結果的に放射能をまきちらし、いまだ解決のめどが立っていない。

政府は終息の道筋がついた、としているけれど、そんなことはない。

原子炉の廃炉作業は現場の多くの人によって行われているものの、その終了時期、また放射性物質の始末がどうなるのかさえ決まっていないはず。

 

必要以上に悲観的になってはいけないかもしれないけれど、その逆、楽観的過ぎはしないだろうか、と思う。

今人が入ることができないところが、いつ入れるようになるのかなどわからぬ。

入ってよいとしたところで、影響があるかどうか、時間が過ぎてみなければだれも判らぬ。

 

制御や始末できないものは、やめた方がよいのだろうと思う。

けれど、やめたらどうなるか。

今こんなふうに電気を頼りにして生活し、呑気にPCを使って暮らし行くことなどできるのだろうか?

ここ40~50年余り、便利を追求し、享受してきた生活を変えられるものだろうか?

 

自然エネルギーの活用、化石燃料との併用ということと、エネルギーの使い方というよりライフスタイルを大きく舵をきって行くという覚悟が必要だろうと思う。

 

口で言うのは簡単だが、その覚悟、その後、暮らす知恵があるかどうか、私にはまだできていないなぁと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014.06.12:dentakuji:[なあまず日記]