峠を越えて

暑くもなく寒くもない、過ごしやすい日中になっています。

昨日(3日)は、午前中から喜多方市へ出かけて、ほぼ一日、暗くなるまでいてきました。

大峠の向こう側は、田沢よりも稲刈りが早く進んでいるようで、もう所々にしか刈り残った稲がありませんでした。

 

画像の山門は、田澤寺・・・ではなくて(こんな立派な石柱や山門はありませんね^^;)、熱塩温泉の奥にある示現寺という名刹。

もともとは真言宗のお寺として開基したようですが、源翁(げんのう)和尚が入山以来、曹洞宗に替わったのだそうです。

1380年に熱塩温泉を掘りあてたのがその和尚で、以来六百年以上湧き続けている温泉なのですね。

ただ、震災時から若干湯量と温度が低下しているとのこと。

 

さて、この日の主たる目的は、大峠道路について、喜多方の歴史を長年調べている方にお聞きすること。

今の国道121号線大峠道路は平成4年にほぼ完成したもの。

その前は、明治時代に三島通庸が福島県令時代にできた道。

さらにそのにもあったと思われるのだけれども、江戸時代の会津とのメイン道路は、綱木から桧原峠を抜ける道。

しかし、伝えるところでは、旧大峠道路に近い方に正式ではない道 間道があったのではないかという。

さらには、伊達が米沢に居を構えていた時代に、会津に攻め入ったルートとして現在の喜多方市熱塩加納村の北の方から侵入したという説もあり、そちらにも道があったのではないかと考えられている。

それが、現在もある飯豊町中津川から抜ける道なのか、或いはまったく別なルートがあったものなのか、ということについて調べてみることにしたのである。

これは、草木塔調査のなかで、関連して調べてみようということになったのだ。

同行したのは、本職のライターIをしている人。

 

まず、熱塩加納村時代から地域の歴史について長年地道に調査をなさっている方を訪ね、おなはしを聞き、資料を貸していただいた。

次に、喜多方の図書館を訪ねて資料を探した。

それから、熱塩温泉の示現寺へゆき住職に話しを聞こうと思ったら不在。

ところが、その近くの宿のご主人がたいへん歴史に詳しい方で話しを聴き資料をいただいた。

さらに日中ダムへ行き、風景を眺め、ここで夕暮れになってしまった。

さすが本職の取材は素晴らしい。この日の収穫の一つはそれ。

自分一人でしているのとは全く違う、とても勉強になった。

 

大きな峠を越えて隣町。

近いようで遠く、遠いようで近い(^^;

似ているようで異なり、ぜんぜん違うようでどっかで何か関わっている(^^;

道に関わって、おぼろげながら見えてくるものがある、ような気がしている。

取材はこれから続く予定(たぶん)。

2013.10.04:dentakuji:[なあまず日記]