昨日の午後は、隣町の同じ宗派のお寺でお葬式があり、伴僧のお勤めで出かけてきました。
同じ町内の、最も奥の方にある、もともと寺院であった元ご住職の奥さまがお亡くなりになったのです。
元々…というのは、このお寺が廃寺になったからです。
私どものお寺と同じ宗派で、もっぱらご祈祷を専門とする、いわゆる法印さまでした。
かつては、山里ではそれなりに山仕事をしながら暮らしている多くの家があったわけですが、それがどんどんと移住し流出し、周囲を見回すとそのお寺様が一番奥になっていたのです。
そして、後を継ぐ方がいなくなってしまい、その維持が困難になったため、寺院と(宗教法人)としての活動をやめられたのです。
法印は高齢ながら健在でいらして、いまだしゃんとしておられ、その心の中にある宗教者としての姿勢はしっかり保たれていると感じてきました。
器としてのお寺という建物は残念ながら無くなってしまいました。
これからも、というか、その可能性は我が身にも充分あるわけです。
しかし、仏教に仕える身や心はなくなるわけではない。
そう覚悟していくべきなのでしょうね。
画像は、お寺で見せていただいた蓄音器。
骨董の趣味があるY師に見せていただき、聴かせてもらいました。
物として取っておくと言うより、まだ使えるものを使える状態にしておくということが面白いんだと言う話し。
うむ、なるほどなるほど…。