想い

秋雨と言っていいほど、寒い雨になった21日。
日曜日ということもあり、檀家さんのご法事。

半袖では肌寒く、黒の礼服を着てちょうどいいぐらいだったかな。
檀家さんのご自宅で法要を行い、お墓参りをして、飲食店の会場でお斎をいただいた。

自営業の施主さんは、震災以降の受注減と、要求の厳しさを嘆いてらした。
そうした中でも、精一杯受注先の要求に頑張っていらっしゃる。少々お酒を飲んでから、「震災でたいへんな目にあっている人たちのことを思うととても辛くて、こんなこと(仕事が厳しくなっていること)ぐらいなんでもない。」と。

また、親族に仏教ではない信仰をしている方のことについて「この災いは神様の恵みだというんだけんどよ、俺は納得いかなくてよ~。和尚さまどう思う?」
その方との直接の話ではないから意図はよくわからないのだけれども…。
人や自らに降りかかる災難や辛い出来事というのは、広い意味では、きっと自分を成長させるという意味ではそうなのかもしれぬ。

ただ、その間、怒り・悲しみ・苦しみ・諦め というような様々な心の動きというものはあって当然だと思います。
そこを経て、施主さんのご親族のような言葉になるものであろうと考えます。
そこのところふっ飛ばしてしまうのは、ちょっと違うでしょう。
やはり、そのかたがどういう人であるのかがわからないと、一概に間違いだとか正しいとかは言えないような気がしました。

いろんな人がいて、それぞれに信じるもの、誤解しているものよくわからないこと、いっぱいあるのだろうと思うんですよね。


プランターに植えたゴーヤーが、ねご達にひっくり返され、掘られたり、○○チをされたりでなかなか大きくなりません^^;
ようやくちっちゃい実をつけました。
ねご達にはまだ油断できないけど、果たして大きくなれるでしょうかね。


夕刻、映画「コクリコ坂から」を観に行く。
偶然に友人夫婦とあったりして、けっこう混んでいるのかと思ったら、いがいとゆるっと観られた。

昭和30年代後半の様子とか、時代の雰囲気というのは、少々時代の端に引っ掛かっており、懐かしさをおぼえた。
携帯電話とか様々な情報を得る手段がない時代の、もどかしくも切ない感じって悪くないと思う。
古いものを否定し、新しいものを善とする価値観に異を唱えるという、高校生っぽいソフトな学生運動は、気恥かしさも感じるが、ちょっと「いいじゃないかなぁ」なんて思ったりもした。
2011.08.22:dentakuji:[なあまず日記]