(中村安希:著 亜紀書房 2011年5月)
中村安希の著書、新刊が出ていた。
タイミングとしては、大震災と原発事故以後、その対応と政争に関わり、政治不信というより脱力感とか無力感でへなへなっとしていたときだったので、本屋で見つけてすぐに購入してしまった。
経済成長がとまり、下降線を描いてきた時代に社会に出てきた世代と彼女は言う。
おおよそ20年早く生まれている私の世代は、戦後から抜け出しまさにこれからという時代に生まれ、右肩上がりで経済が成長する時代に子ども時代を過ごし、社会に出る頃が絶頂期であり、やがて著者と同じ世代の頃バブルははじける。
1980年後半から90年代前半、この田舎に住んでいても、多少といえどもバブル経済という雰囲気を感じていたものだ。
新しい家は建ち、購入する車のランクが上がり、仕事などなんぼでもある、というようなあんばいで。
田舎に新設されたスキー場では、夜空を煌々とライトが照らし、大音量の音楽を轟かせ、それまで人が来なかったところに遠くから人が押し寄せてきた。
喜んでいた半面で、「こんなことがいつまでも続くんだろうか」そんなことを思って話していたことも事実あった。
案の定こんなことは長く続かなかった。
さて、一体誰が悪かったのだろう。
この本では、著者が若手を中心とした18人の政治家(国会議員)にインタビューを試みている。
そのほとんどに(3~4人を除く)失望を感じたようだ。
何を考え、何をしようとするのか伝わってこないのは、おそらく著者の筆力というより、実際に議員に中身がないのだろう。
選挙の度に感じる伝わってこなさ、誰に・どこに入れてよいのかという選べない思い、というのはなんとなくわかるような気がする。
この国は(日本)はどうなっていくのだろう。
議員を選んでいるのは他ならぬ私たちなのだ。
自分の立ち位置を確かめ、必要なものと必要でないものを見極め、どういう態度で応じるか…。
国際的なことも身の回りのことも、そう大きな違いはないのだろうと思う、そんなことを感じた。