国宝「上杉本洛中洛外図屏風」原本展示のお知らせ

  • 国宝「上杉本洛中洛外図屏風」原本展示のお知らせ

皆様のご支援(クラウドファンディング)による修理が完了し、
4月18日(土)~5月17日(日) 企画展示室にて、国宝「上杉本洛中洛外図屏風」の原本をお披露目展示致します。

 

国宝「上杉本洛中洛外図屏風」は天正2年(1574)に織田信長が上杉謙信に贈ったとされるもので、桃山時代の代表的な絵師である狩野永徳によって描かれました。

この屏風は、京の市街地(洛中)と郊外(洛外)の四季と、そこに生活する人々のすがたを描いたもので、芸術的美術史的価値ばかりでなく、歴史資料としての価値も高く、民俗学的見地からも貴重な史料であることから国宝に指定されました。

ぜひご来館いただき、国宝の魅力をご覧ください。

 

※開館25周年記念特別展「上杉謙信と川中島合戦」のチケットでご覧いただけます。

展覧会詳細はこちら

 

皆様のご来館を心よりお待ちしております!

 

【お問い合わせ】

 米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2026.04.06:denkoku:[博物館情報]

【次回展示予告】開館25周年記念特別展「上杉謙信と川中島合戦」

  • 【次回展示予告】開館25周年記念特別展「上杉謙信と川中島合戦」
  • 【次回展示予告】開館25周年記念特別展「上杉謙信と川中島合戦」

4月18日(土)よりはじまる特別展のお知らせです。

 

開館25周年記念特別展「上杉謙信と川中島合戦」

 

 上杉謙信(1530~1578)と武田信玄(1521~1573)といえば、北信濃の領有をめぐって争った川中島での激闘が特によく知られています。いわゆる「川中島合戦」は、軍記物語などの読み物を通して後世にも語り継がれるほど著名な歴史的事象として、今もなお多くの人々の興味を惹きつけています。
 この合戦は、信玄の信濃侵攻を受けて、信濃の諸将が謙信に助力を求めたことに端を発します。天文22年(1553)から始まるこの戦いは、10年以上にわたって争いを繰り返し、戦国時代の中でも大変に有名な合戦となりました。なかでも永禄4年(1561)の戦いは一番の激戦であり 、謙信と信玄の一騎打ちが行われたと伝わっています。これまで多くの場合、5回の合戦で捉えられてきた川中島合戦ですが、近年では研究の進展によって、それ以上の衝突が指摘されています。今回の展示では、北信濃における対立の全容を提示するほか、それが派生して展開した越中(富山県)や西上野(群馬県西部)の動向にも注目し、その全体像を取り上げます。
 本展覧会では、謙信を取り巻く諸勢力にも目配りしながら、一進一退の攻防を繰り広げた謙信と信玄の戦いの様相を紹介します。開館25周年を記念して、上杉家の家祖・謙信の事績を改めて見つめ直す機会となれば幸いです。

☆展示公式図録(A4版、120ページ)を刊行予定!

 

【会期】前期:4月18日(土)~5月17日(日)

    後期:5月23日(土)~6月21日(日)

     ※展示替え:5月18日(月)~5月22日(金)

 

【休館日】4月22日(水)、5月27日(水)

 

【開館時間】9:00~17:00(チケット販売は16:30まで)

 

【入館料】一般800円(640円)/高大生500円(400円)/小中生300円(240円)

    ※( )は20名以上の団体料金

    ※常設展とのセットのみ販売

 

■ギャラリートーク  担当学芸員による展示解説 ※申込不要

 日   時 : 【前期】4月18日(土)、5月9日(土)

         【後期】5月23日(土)、6月13日(土)

         いずれも14:00~

 会   場 : 上杉博物館 企画展示室

 定   員 : なし

    参 加 費 : 特別展入館料

 担   当 : 池野 理(当館学芸員)

 

■講演会  ※4月15日(水)9:00より申込受付開始

「検証 川中島の戦い―新出史料から見るいくつかの論点―」

 日   時 : 5月30日(土) 14:00~16:00

 会   場 : 伝国の杜 2階大会議室

 定   員 : 80名(先着)

 参 加 費 : 無料

 講   師 : 村石 正行 氏(長野県立歴史館学芸員・総合情報課長)

  お申し込みは 申込TEL:0238-26-8001
         申込Mail:welcome@denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp
   ※メールでお申込みの際は、聴講される方全員の【名前、電話番号】を明記してください。

 

 

特別展の主な展示資料等、詳しくは当館ホームページをご覧ください。

 

皆様のご来館を心よりお待ちしております!

 

【お問い合わせ】

 米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2026.04.06:denkoku:[博物館情報]

令和8年度 上杉文華館「西からの手紙」①

  • 令和8年度 上杉文華館「西からの手紙」①

 2026年度の上杉文華館は「西からの手紙」と題して、国宝「上杉家文書」などを展示します。

 書状は一定の規則に則って書かれました。このような規則を書札礼 しょさつれい といい、差出人と受取人の関係が反映されていました。それをまとめた書札礼書も作られました。そこ には差出者の社会的地位に応じた規範が示されています。その適用は厳密であり、ゆえに実際の書状の書き方から両者の関係を知ることもできます。

 2023年度コレクション展および2025年度上杉文華館では戦国時代の上杉氏に主に東国の領主から送られた書状を、2025年度コレクション展では上杉謙信や景勝、その 家臣らが発給した書状について、書札礼や使用された料紙などについて検討し、展示しました。

 2026年度の上杉文華館では、戦国時代に京都やその周辺、中国地方など、越後より西の地域の大名や領主から長尾上杉氏に送られた書状を対象に、書札礼や使用された 紙などについて検討し、展示していきます。東国の領主や上杉氏との相違なども意識しながら、その特徴などを明らかにしていきます。

 

第1回《室町幕府将軍(1)足利義晴》

 

 【展示期間】3月31日(火)~4月21日(火)

 

  展示目録はこちら

 

 第1回目は、室町幕府12代将軍足利義晴(在位大永元年・1521~天文15年・1546)と、その側近大館常興の文書をとりあげ、幕府からの文書の書き方や、料紙の使わ れ方を紹介します。

 室町幕府将軍の書状は、敬意をこめて御内書といわれました。御内書には副状といわれる側近や重臣の書状が添付されたり、御内書の命令によって側近らが書状を発給し たりしました。義晴からの御内書は、長尾為景(上杉謙信父)とその息子晴景宛のものが「上杉家文書」には伝わり、それに関わる副状などは、大永年間(~1528)まで は伊勢貞忠 い せ さ だ た だ が、享禄年間(1528~)以降は大館常興が発給していました。

 また、常興は副状か、御内書に基づく命令を伝達する書状かで料紙の使い方を変えていたとみられます。これもあわせてみていきます。

 

▼ コレクショントーク

 日時:4月5日(日)  14:00

 場所:常設展示室 上杉文華館

 ※入館料が必要です。

 

令和8年度上杉文華館展示スケジュールはこちら

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

2026.03.31:denkoku:[博物館情報]

4月の体験学習室

  • 4月の体験学習室

3月27日(金)からの体験学習室についてお知らせいたします。

季節企画は「日本の伝統色①」(3/27(金)~4/21(火))です。
造形体験は「いろいろな紙でこいのぼり」(3/27(金)~4/21(火))です。

さまざまな紙を自由に組み合わせて貼り付け、こいのぼりのうろこを表現します。みなさんもご一緒に季節飾りを作ってみましょう。

 

※ご利用の際は感染予防にご協力ください。
※発熱や、風邪症状のある方はご利用をお控えください。
※5人以上のグループでのご利用は、事前にご相談ください。
※定員は20名です。混雑時はお待ちいただくこともございます。

それではご来館を心よりお待ちしております。
お問い合わせは 米沢市上杉博物館0238-26-8001までどうぞ。

 

2026.03.27:denkoku:[体験学習室]

令和7年度 上杉文華館「謙信・景勝に手紙を出す」⑫

  • 令和7年度 上杉文華館「謙信・景勝に手紙を出す」⑫

 2025年度の上杉文華館は「謙信・景勝に手紙を書く」と題して、国宝「上杉家文書」などを展示します。

 戦国時代、書状は一定の規則に則って書かれました。このような規則を書札礼といい、差出人と受取人の関係が反映されていました。それをまとめた書札礼書 も作られました。そこには差出者の社会的地位に応じた規範が示されています。その適用は厳密であり、ゆえに実際の書状の書き方から両者の関係を知ることも できます。東国の大名間では、差出は実名に花押、宛名は名字に殿の尊称という表記が、原則的に対等な関係を示していました。特別な内容や礼状などでは、宛名に「謹上」のような上所、差出の実名に官途や姓などを加えて厚礼とし、より丁寧な気持ちを表すこともありました。

 永禄4年(1561)、謙信(長尾景虎)は上杉憲政から名跡と関東管領の地位を譲られ、上杉氏を名乗ったことはよく知られています。これによって謙信、景勝 はその地位に応じた書状を受け取ることになりました。宛名には、「上杉殿」や「上杉弾正少弼殿」などの名字を冠したもの、「山内殿」や「越府」、「春日山」 などの地名を記すもの、また本人ではなく、報告を求めて側近に宛てたものなどがみられます。これらは差出人の立場によって選ばれますが、その基準をみていくことで、謙信や景勝の地位、諸大名家の権力構造、東国社会の変容などがみえてくると思われます。

 2025年度はこの解明に取り組んでいきます。

 

第12回《山内殿の終焉》

 

 【展示期間】2月25日(水)~3月29日(日)

 

  展示目録はこちら

 

 「山内殿」という宛名表記は、現在確認できる書状では、天正てんしょう一四年(一五八六)四月が最後です。現在残されている文書の数は、実際にやりとりされた数に比べればわずかですので、これが最後であったと確定することできません。しかし、この後、関東の領主から上杉景勝に宛てた書状がみられなくなります。ゼロにはならなくとも大幅に減少したことが想定されます。そして、天正一四年は豊臣政権の関東支配の大きな画期の一つとなった年でした。

 それは六月の景勝、一〇月の徳川家康の豊臣秀吉への臣従でした。以前から両者ともに秀吉の関東支配実現に重要な位置にいましたが、家康との関係が安定しない中、先行して従った景勝に北条氏を含めた関東の諸領主との交渉役(取次とりつぎ)が委ねられ、次いで臣従した家康が改めてその交渉役に位置付けられました。これによって景勝の取次の地位は後退した、あるいは継続したと両極の評価があり、また軍事力行使を主体とする役割に転換したといった評価も出されています。

 このような評価の是非を今は判断できませんが、景勝の関東に対する軍事力も秀吉の指揮に基づいて発動されることになりました。この景勝の立場は、関東の領主との直接の通信によって活動していた時代とは大きく異なっています。このような中で景勝と関東の諸領主との通信は大きく変容したことが想起されます。そして、臣従後、たとえ「山内殿」表記の景勝宛書状があったとしても、それは関東管領に淵源えんげんを持った「山内殿」とは異なる存在であったと言わざるを得ません。秀吉への臣従は「山内殿」の終焉でした。

 

▼ コレクショントーク

 日時:3月1日(日)  14:00

 場所:常設展示室 上杉文華館

 ※入館料が必要です。

 

令和7年度上杉文華館展示スケジュールはこちら

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238-26-8001

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