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▼『ニート』フリーターでもなく失業者でもなく

2004年7月発行の本ですから、多くの方々がすでにお読みになっておられます。
7月16日の勉強会のためにもう一度読み返してみて、私が気になった部分だけ、主観的ではありますが抜粋させていただきました。

「ニートをフリーターの二の舞にするな」(242P)
 ニーとは「働かない」のではない。「働けない」のだ。ニートとは「働きたくない」のではなく、なぜか「働くために動き出すことができない」でいるだけだ。働き出すために、未知の誰かからの早い時点でのきっかけを必要としているのだ。

「自分にあいた穴」(245P)
「ニーとは、どこか『社会経験の穴』があいている」
 だから自分のなかにどんな穴があいているかをみつけ、他人の手やチカラも借りながら、少しずつその穴を埋めていく。社会経験の穴があいているのは、ニートだけじゃない。誰もが穴を持っている。ニーとは、その穴がほんの少し大きいか、ちょっと多いだけだ。

「情報の洪水の前で」(247P)
ニートに欠けているのは職業についての情報ではなく、働く自分に対する自信だ。ニーとの多くは、世の中にどんな仕事があるのか、正社員以上に知っている。
ただ、適職探しのための就職情報はもう十分だけれど、ニートにはもっと別の本当の情報が足りないのかもしれない。情報の洪水を前にして、自分には必要ないものを「べつに大丈夫」と自信を持って捨て去ることができるような、経験にもとづくリアルな何かだ。
重荷を少しでも軽くしてくれる情報でなければ、ニートが口にする「いっぱい、いっぱい」という状況は変わりようがない。

「つながれない」(249P)
では、そんなリアルな情報をどうやって手に入れることができるのか。本当は、私などに言われなくても、ニートを含めた若者は、直感的に気づいている。インターネットや教科書からの情報では、決してない。自分にとって未知の世界に生きる人間と関係を築き、そこから五感を通じて得る情報だ。実感からくる情報を持っていない現在の自分の危うさを、程度の差こそあれ、多くが感じている。
だから働く若者の多くにとって、ニートとなった人々をけっして他人事だとは思えない。そしてそこにこそ、ニートという困難な現実を解決するための希望と糸口もある。ニートに信頼できる他者として手を差し伸べることができるのは、ニートと異なる世界に生きながらも、同時にニーとの状況を自身の生きづらさと共鳴して実感できる若者と一部の大人たちだけなのだ。他者と出会ったり、つながったりするきっかけを失っている現在の状態が、自分にとってマイナスであることは、ニート本人だって、誰かに言われなくてもイヤになるほど知っている。だからこそ、働けない自分に焦りもする。しかし、何かに自分の背中をドンと強く押してくれる衝撃がない限り、自分から動き出すことが「なぜか」出来ないでいる。ほんのささいなことでいい。自分と違う世界からの、何かきっかけが欲しい。

「やりたいことがわからない」(259P)
自分のやりたいこと、実現したい自己なんて、本当は誰にもわからない
やりたいこと、特にやりたい仕事があるのは、幸せなことかもしれないけれど、やりたいことがないからといって、それはけっして不幸なことではないのだ。
大人は、やりたいことをみつけなさい、自己実現を、めざして頑張りなさいと、言いすぎだ。でも本当は、ほとんどの人がやっている仕事は、自分の、めざすものを実現しようとしてやっているわけじゃない。仕事を通じて夢を実現する大人は、いつの時代も、ごく一握りの人間だ。

やりたいことを実現するために、仕事をするんじゃない。今の自分も知らない、自分のやるべき「本当」に出会えるかもしれないから働く。そのために一歩だけ、踏み出すことだ。

著者:玄田有史・曲沼美惠
出版社:幻冬舎
定価:1500円

by 長朗

2005.07.14

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