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▼『生きる意味』
「フォーラムin山形」終了後の意見交換会で宮城まり子先生より紹介のあった本です。
筆者は「文化人類学者」であり、「生きる意味」に関する社会的現象と進むべき道についてについて広い範囲からわかりやすく書いております。
キャリア開発に携わるものとして、基本的な命題であると同時に、ニート、フリーターの若者問題や中古年齢者の自殺問題まで広く関連付けながら、社会科学的に理解していくことができます。ぜひ一読をお勧めいたします。
著者は「はじめに」というところで次のように述べています。
『私たちがいま直面しているのは「生きる意味の不況」である。
問題の本質は経済的不況にあるのでなく、もっと深いところにある。
私たちの「生きる意味」の豊かさを取戻すこと。そのためにこの本は書かれている。
何が私たちから「生きる意味」を奪っているのか。その原因を探り出し、そこを突破して、いかに自分自身の人生を創造的に歩むことができるかを考えたい。そしてひとりひとりの生きる意味に支えられた、真に豊な社会の未来図を描き出したい。』
目次は下記のとおりです。
T・「苦悩の正体」
第一章 「生きる意味」の病
第二章 第二章「かけがえのなさ」の喪失
U・ 数値化と効率化の果てに
第三章 グローバリズムと私たちの「喪失」
第四章 「数字信仰」から「人生の質」へ
V・「生きる意味」を創る社会へ
第五章 「苦悩」がきりひらく「内的成長」
第六章 「内的成長」社会へ
第七章 かけがえのない「私」たち
「はじめに」をうけて筆者は、第七章 『かけがえのない「私」たちで』で次のようにのべています。
『さて、「生きる意味の病」から出発して、私たちはようやく未来を展望できるところまで到達した。「人の目」と「効率性」によってがんじがらめになって、私たち自身の「生きる意味」が見失われているところに私たちの時代の病はある。それ故、いま私たちに求められているのは、私たちひとりひとりの「生きる意味」の自立である。しかし、一見私たちの自立をもたらすように見える、新自由主義的なグローバリズムは、私たちをますます効率性と他人からの評価に縛りつけ、私たちに「生きる意味の再構築」をもたらすものではない。
いまこそ、経済成長や数字に表される成長といった、私たちや私たちの社会を外から量的に見る見方だけでなく、「生きる意味の成長」といった人生の質にかかわる成長を考えるべきときではないか。そうした「内的成長」をももたらす社会への転換が求められているのである。それは私たちが自分自身の「喜び」と「苦悩」に向かい合うことから始まる。そして、それは私たちの間のコミュニケーションのあり方の転換でもある。「内的成長」を育む様々なグループが生まれ、さらに仕事,学校、家庭といった場が私たちの「内的成長」の場へと転換していく。
「新自由主義」(73P)
競争の勝者はその結果としてどんな格差が生じようとその取り分を取る正当な権利があるという弱肉強食的なイデオロギー。
「内的成長」(143P)
私たちの社会はこれまで、年収や成績といった数字に表されるような指標によって、私たちを外側から見る成長観に支えられてきた。しかし、そうした成長観はもはや私たちの生きることを支えてはいけない。私たちの成長を内側から見る目がいま求められている。そして、私はそれを「内的成長」と呼びたいのだ。(長山注・内的キャリア、内なる声、スローキャリアなどに通ずるのではないか)
「内的成長」のきっかけ(147P)
私たちひとりひとりが、二つのものへの感性を研ぎすますことから始まる。それは、「ワクワクすること」と「苦悩」の二つである。「ワクワクすること」「生きてる!という感覚」は、私たちの「生きる意味」の中核にある。それはまさに「生命の輝き」を実感する一瞬であり、私たちが自分自身の「生きる意味」の創造者となる一瞬である。そしてそれは私たちと世界がどのような「愛」でつながっているのかを実感する瞬間でもある。ワクワク感を得るためには「ワクワクしている人のそばにいなさい」「生命の輝き」は必ず伝染してくる。「苦悩」とは現実の自分と「ワクワクする自分」との間のギャップから起こるものだ。こうすれば「ワクワクする」という「生命の輝き」が現実によって抑え込まれている。そこに苦悩が生じるのだ。だから「苦悩」とは、自分の「ワクワクすること」に気づく大きなチャンスなのである。その「苦悩」に向かい合い、その苦悩の意味を探求していくことで、自分が本当に何を求めているのか、どんなことにワクワクするのかが逆に分かってくるのである。
著者:上田紀行授
出版社:岩波新書
定価:740円
by 長朗
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2005.06.13
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