年だからでなく年がいもなく
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22歳の自分
先日、ゼミの先生の葬儀に参列した際お嬢さんにお会いした
お嬢さんは、先生が北海道から赴任された翌年のお生まれで、名前は由紀
我々ゼミ生は文集を作り、その名前を「ゆき」とつけた
もうわれわれが無くしてしまったその「ゆき」をお嬢さんが持参してきてくれた
私の投稿文を斎場でコピーさせてもらい家に帰ってからそのままパソコンに打ち込んでみた
当時の部屋というのはキャンパス内にあった学生寮の部屋
12畳、5人1部屋で暖房は火鉢の炭火であった
「雑感」
『気持ちのいい朝だ。時計は9時を一寸と過ぎたばかり
同室の者は皆出かけて部屋には私1人だ
春を思わせるような柔らかな光線が、部屋一杯に満ち溢れ、火鉢にかかったヤカンのチンチンという音だけが規則的に響き渡る
眼を上げると、蔵王の峰々が淡い陰影を呈しながらまばゆいばかりの青空の中にくっきりとその姿を現している
あヽ春の来るのももうすぐだな、その春と共に卒業もやって来る
卒業、卒業・・・・どうもぴんとこない。まだこのまま学生生活を行けそうな気がしてならない。4月からは背広を着て会社勤めをするなんて他人事のような気がする
最近の自分は、もっぱら小説読みに専念している。太宰、チェーホフ、ヘッセ、カロッサ、トーマスマン・・・・等など時間の許すかぎりバリバリ読んでいる。小説を読んでいる時にのみ、自分の心は満たされ、自分が生きているんだという感じを抱くことが出来る。今の自分にとってはそれ以外の何物も刹那的快楽か、もしくはただ活字を追うに過ぎない苦痛を与えるだけである
就職は決まったものの、飯の食いっぱぐれをまぬがれたという意味でなんとなく安心しているだけで、D社のサリーマンになること自体にはたいして喜びを感ずることが出来ないし、また期待もしていない
誰から勧められたわけでもない。一応は自分で選んできたコースなのに、今さらこんなことをいうのは不甲斐無いと思うが正直な話である
実社会への門出にあたって、嬉々としてその準備に勤しんでいる友人が羨ましい
自分もいつまでも自分の気持ちに甘えていてはいけない、時は迫っているのだから
時計は10時を廻った。まだ誰も帰ってこない。太陽は一層暖かな光線を増し、蔵王の峰々を照らし出している。気持ちのいい朝である』
69歳の自分が47年前の22歳の自分が書いたものを読んで思う
なんてきざな書き方であり、なんて感傷的であり甘い考えだったのだろうと
でも書いてあることにはうそはない
今この文章を読み返してみると、不思議に当時の心境と情景がまざまざと思い起こされる
当時このように思っていた22歳の自分がいたのだ
D社を62歳まで勤め上げた
悔いは無いとは言い切れないが、最後は研修部というところで仕事ができて「終わりよければ全て良し」である
この文章にある、「自分の心は満たされ、自分が生きてるんだと感じを抱くことが出来る」という生き方を求める思いは今も失っていない
22歳のときにそのように思ったから、今も自分らしい生き方を求めて暮らしていけるのかもしれない
2009.11.04:
choro
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