年だからでなく年がいもなく
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ゼミの先生の死
山形の大学時代のゼミの友人から電話が入った
「T先生が危篤状態になった。これから病院に行ってみる」という電話
T先生は今から50年前に経済原論担当講師として北大から山大へ赴任して来られた
そのゼミの1期生が我々で、先生31歳、生徒20歳であった
ゼミ生15名で2年間「原書講読」の指導を受けた
授業では厳しい先生であったが兄貴のように何かと面倒を見てくれた
我々はよく連れ立って新婚間もないご自宅へ伺ってはご馳走になった
食い盛りの学生の大挙の押しかけは、家計を預かる奥様にとっては懐が痛くなることであったはず
先生はその後北大へ戻られ、経済学部長を務められたあと定年退官された
退官後、某私立女子大に経済学部を新設するために奔走しているときに脳内出血にみまわれ、車椅子の生活を余儀なくされた
先生は若いときに肺の片方を失っているうえに内臓の慢性疾患を抱えながら、長年にわたる研究活動と学部長という激務をこなしてこられたのだ
車椅子生活でのリハビリを目指す先生と奥様には、札幌の冬の生活は厳しすぎるということで転居を決意され、若かりし時5年間生活された山形の地を選択されたのである
雪が降らないということと、人情と自然を気に入られたと話しておられた
山形に移り住んで今年で10年になる
先生と再会をし、交流を始めたのは定年で仙台に帰ってからのことである
山形のハローワークで年に4,5回仕事があったのでその都度ご自宅にお邪魔させて貰った
先生は車椅子でイタリアまで旅行するくらい回復していたが、話すことには少し不自由さ残していた
それでもいつも笑顔を絶やさずに懸命に話をしてくれた
その先生が体調を崩し、1年ほど前から病院に入院していたのである
9月26日山形の馬見ヶ崎で芋煮会があったので午前中に病院に見舞いに行った
奥様も交えていろいろとお話ができた
昔話の中で、「君は学生時代に家へ来て、カレーライスを3回もおかわりしたんだよねー、びっくりしたよ!」と口ごもりながらも大きな声で笑って話す
当時私はウエイトリフティング部で活動しており、いつもすきっ腹を抱えていたのだった
「え!そんなことありましたっけ」と笑ってごまかす
そんな昔話を笑いながら話す先生の顔は、50年前の先生の顔を思い起こさせてくれる
その昔、31歳の先生と20歳の生徒の間に醸し出された空気が、今また生まれて漂ったような気がした
ひと時ではあったが69歳の老いたる生徒の心が和んだ
その先生が危篤に陥ったあと翌日の朝3時に亡くなられた
誤飲から来る肺炎であった
享年とって79歳
病弱と言われながら男子の平均寿命を全うされた
天寿といってもいいだろう
死の床に眠る先生の顔は研究者として生ききったという表情を見せてくれていた
合掌
2009.10.23:
choro
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