年だからでなく年がいもなく

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ニュートリノの研究者として次のノーベル賞候補といわれていた戸塚 洋二さんのがん闘病記が放映された

印象に残った点2つ

ひとつは自分で自分の病理画像のデーター解析を行ったということ
科学者はデーターと観察が基本であるという
データーがすべてであり、困ったときはデーターに立ち返るという考えに立って、戸塚さんは科学者としての習慣と興味から自らのがんについてのデーター解析を克明に行った様子が映し出される

そしてその行為について次のように語っている
「科学者としてデーター解析が身についているとはいえ科学者としての悲しい性としてやってしまった」と

そういう戸塚さんを身近に見ながら「ガンの怖さを打ち消すためでもあった」と語ってくれたのは奥さんである
長年連れ添ってきた科学者の妻なればこその理解ある言葉である

がん患者がデーターで一喜一憂するのは問題があるという指摘もある
データーの悪化で免疫力が低下してがん細胞が大きくなる可能性もあるというのである

自分としては、データーは気にしないで行きたいと思う
医者からの細かいデーター解析と報告は求めないつもりである

データーを見て、データーから新しい治療方法でも考えられるのなら克明なデーター解析をお願いするが、今の医療では新たな抗がん剤を検討するくらいにしかならないのではないか

ガンは自分で治せると思い込んで、自分の心理状態をいい方向に持ていくことを心がける
「自分は治る、」というイメージをつくってそれを自分に言い聞かせる、ということを選択する

印象に残った2つ目のことは、戸塚さんはデータ解析をしながら、科学者として自分を冷静に観察することによって、抗ガン剤の目がかすむ涙目という副作用を見つけているということ
その事実を自分のブログに投稿することによってガン医療の医者に喚起を促すという結果をもたらしている

その副作用は学会でも問題視はしていたが、データー不足で涙目が副作用であると認定していなかったというのである

患者自らが自分の病気の観察の結果を外部に発信していくことの重要性が戸塚さんの闘病記録のなかに収められている

「がん患者のデーターベースに関するフォーラム」に自らも参加し、日本での新たな道を切り開くことに貢献している姿が映し出されている

この動きはイギリスで広まって、日本でも最近とりあげられるようになってきている
患者は同じがんであっても一人ひとり違うのである

がん患者自ら自分の症状を客観的に観察し、記録を残してそれをデーター化しておけば、同じ症状を持つ患者はそのデーターを活用できるというのである

患者がものを言うことによって、今までに医者からの発信だけに頼っていたがん治療をもっと患者のためにより良いものにしていこうという運動である

運動の趣旨はよく分かるし賛成であるが、自分のがんの記録を克明にとっていくというのは苦手である
定期的検診日のデーター保管だけで終わりそうである



2009.08.17:choro:count(1,907):[メモ/健康]
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