年だからでなく年がいもなく
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難民
NHKの5回シリーズの土曜ドラマ「風に舞い上がるビニールシート」が昨晩で終了
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)東京事務所が舞台のドラマであるが観ていてどうもしっくりこない
演出者と出演者が力んでいる割には伝わってくるものは少ない気がする
難民問題をベースにしたシナリオなのに難民生活の現場(フィールド)を見せないまま、東京事務所という狭い舞台での人間模様を描いているからではないか
難民生活の現場の場面をドラマの中に組み込んで、現場の映像を見せておけばもっと共感を得られたのではなかろうか
同じ頃に「国境なき医師団」と「ユニセフ」から寄付依頼が届いた
「国境なき医師団」のパンフは「特集 難民/避難民になること」でグラビア入りの22P物である
見返りに
「・・・・もし、あなたの住む町で戦闘が起きたら?
住み慣れた家と生活をあとにして、家族とともに、あるいははぐれて、どこに逃げますか?その先で、毎日何を食べて、どこで眠り、生活していくのでしょう?
難民・避難民は直面している困難と、必要とされる援助とは何かを想像してみてください」
とあるが、平和でコンビニの弁当を捨てる、捨てないがニュースになっている日本ではわが事として想像したり、実感したりすることは難しい
相当の想像力が求められる
定年になったとき、世界と少しでもつながっていっていきたいと思い「国境なき医師団」と「ユニセフ」への寄付を思い立った
そんな希薄な思いではじめた寄付であるから世界につながっているという意識はうすれていく一方である
ケニア、カンボジア、ベトナム、インド、タイなどで貧困に苦しむ人を目の当たりにしてきていることが寄付への意欲の維持をかろうじて支えてくれているだけ
最近は難民の苦しみや悩みを実感できないのに世界に目を向けてばかりいても正しくはないと思うようになってきた
ユニセフなどのパンフで難民の置かれている過酷な状況を知ったとしても心が痛むような実感としては限界がある
一人の人間が実感できる範囲というのは狭いもの
大切なことは、もっと身近にあるもの、自分が実感できることにもっと目を向けていくことかもしれない、と思うようになった
それは何も経済的貧困だけでなく、精神的貧困、肉体的貧困も含めてである
心鎮めてみれば身の回りに支援を求めている人はたくさんいるはず
実感を基にして何かができるはずである
6月20日は「世界難民の日」だそうである
「国境なき医師団」と「ユニセフ」の寄付を呼びかけるコマーシャル
「9000円で子供の栄養治療職250食分」「5000円で95人分のノートと鉛筆」
に動機付けられて寄付を続けることにした
2009.07.05:
choro
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