年だからでなく年がいもなく
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がん哲学外来の話―9
○「がん闘病は究極の自分探しの旅」
そもそも自分はなぜここに存在しているのか。何のためにここに存在しているのか。Whyはあまり考えない。考えなくても生きていけるからです
がんというのは、人間にWhyを考えさせる病気です。人間の最後に残る問題であり、最後の希望でもあるからです
がんになるまではhowが生きることであり、希望でもあった
しかし、その希望が失われたとき、真の希望が現れる
自分とは何か。「本当の自分」とは何か
がん闘病とは究極の自分探しの旅なのです
人間の悩みは、ほとんどは「自分が思っている自分」と「他人が思う自分」とのギャップです
あるいは「人からこう思われたい自分」と「他人から思われている自分」とのがギャップかもしれません
どちらにしても外側からの評価で自分を定義し、自分の存在を確信しようとすることで起こる悩みです「本当の自分」はそのどちらでもない自分です。外側の評価によらない
何ができるか何を持っているかによらない。「自分がここにただ存在している」 − そのことに絶対的な価値がある
その「存在」こそが本当の自分です
末期のがん患者は「静思して深く考える」ことによって自分を見つけようとする
病床にあり、寝たきりになり、何もできなくなってもここに存在している自分。そこに人間が「存在」することの立派な理由がある。自分を超えて、人間とは何か、ここに人間が生まれて存在している真の意味を知ろうとする
本当の自分という真の希望を見つけると、他には何もいらなくなる。たとえ生が終わろうとも、「生」は輝くからです
▲ がんが末期まで行かなくても、日常の生活のなかで「静思して深く考える」ことができるかどうか
考える努力をしても、自分が存在している真の理由、真の意味までたどり着けるだろうか
本当の自分という真の希望を見つけることは可能なのだろうか・・うーん・・難しいけれど・・・
2009.04.07:
choro
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