年だからでなく年がいもなく

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○『「代替医療」はあくまでも治療を補うもの』

なぜ医師は患者さんが代替医療を利用することを嫌がるのか
理由は2つあります
ひとつは、現代西洋医学を中心に治療を行っている医師からすると、代替医療にはエビデンスがないからです

開発者による独自の研究データーを使用した人の体験談はあっても科学的に実証されたものではない。少なくても医師の見方はそうです。医学として認められ、保険適用もされている漢方ならまだいいのですが、サプリメントとなると医学的にはノーコメントです

もうひとつ、患者さんが代替医療を利用することに、」医師は自分の治療が信頼されていないと考えるのも事実です。プライドという複雑で極めて人間的な感覚です。患者さんが言い出しにくいのもそれを敏感に感じるからかもしれません

ただしあくまで医学的治療を補うものとして代替医療は考えていただきたい
実際に代替医療で切り替えてがんが治ったと言う患者さんの話を聞きましたが、がん研究を続けてきた病理学者としては懐疑的です

▲医師側の立場を正直に書いてくれていることは歓迎
しかし著者はがんの病理の先生
実際に臨床医として患者に接する機会が少ない
ましてや大学病院の病理の先生である
医師側にたっての受け止め方であり発言であるような気がする

▲医学の世界ではエビデンス(科学的実証)がないと話にならないことは事実
医師もその世界で名を上げていくためにはデーターを基にした論文を書いて認められることが必要であるというのも事実

▲しかしその世界から見放されたがん患者が自力で完治している数が増えているという事実をどう受け止めているのか

▲がんは他の病気とは違った要因を秘めているのではないか
がん治療にはエビデンスだけでは及ばない何かが必要なのではないか

▲患者も自分の命は自分で守るという視点から、密かにでも自力で選択してやり続けることが必要

○「余命宣告を静かに受け入れて淡々と生きる」

がんとは、人間に「死」を真剣に考えさせる病です
「生」と言う希望を失ったとき、それでも人間に残される希望は何か
やはり「生きる」ことです。残された自分の生をどう生きるか、です。なぜならそれが、人間が残せる唯一のものであり、最も価値あるものだからです

「人生は成功のためにあるのではない。達成(成功)すべき目標ではなく、生き方を示すことこそ人間の功績であるはずである

 がん医療において、「成功」は死を遠ざけることであり、死は「失敗」です
しかし、それは人生の失敗ではない

死に向かってどう生きるか、生をどう生きたか。それこそが人生であり、だからこそ「生きること」は大切なのです

○「死ぬという大事な仕事が残っている」

医師から余命宣告された。希望を失って生きているのが嫌になって自殺を試みた、でも死ねなかったというのです

私はこう言葉をかけました「それでもあなたには、死ぬという大事な仕事が残っている」と
その患者は「分かりました、なんとか頑張ってみます」と言った

私の言葉で彼の中に何らかの変化が起き、「種」を受け取ってもらえたからです
それは死に向かって「どう生きるか」を考える種です
患者さんはどういう言葉によって慰められるのか。日本のがん医療においてこれは大きな課題です

▲「残された人生を淡々と生きる」ということに尽きる
▲カウンセリングの基本は傾聴といわれるが、カウンセラーがクライアントにかける「言葉」も大事


2009.04.02:choro:count(1,287):[メモ/健康]
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