年だからでなく年がいもなく

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作家重松 清の同名小説を大林宣彦監督が映画化した作品

物語はシンプルである
育ち盛りの2人の息子を持つとし子(永作博美)は突然病に倒れ、余命1年を宣
告される
“明日”を断ち切られた夫・健太(南原清隆)は、妻とともに「その日」に向けて、残り少ない日々を一生懸命生きていく
新婚時代、2人が夢見ながら暮らした懐かしい街を訪ねる
とし子がイラストレーターとしてまだ売れていなかった健太を支えながら暮らした街である

子供たちも日に日に大きくなっていく。そんな2人をとし子と健太は精一杯慈しむ・・・・そして最後には「その日」を迎える
「その日」までを一生懸命生きる夫婦、家族の姿と、そこに関わる人々との、物語
切なさと、愛おしさと、けなげなさを感じさせる物語である

先日紹介したテレビドラマ「風のガーデン」と同様に「死ぬこと」をドラマチックに描くいわゆる難病もの、ガンものではない
ごく普通の人々の普通に生きる姿のなかにいつしか自分の姿を重ね合わせて観てしまう作品である

私の場合はガン持ちなので重ね合わせる部分は広くなる
「風のガーデン」では痛みに重ね合わせた
この作品では残された時間を家族とどう過ごすか、家族に何を残せるかというところだろうか

死ぬ直前、とし子は健太に残す手紙を書き上げた。何度も書き直して・・
それを自分が死んだ後に健太に渡してくれとホスピタルの看護師に託した
手紙を開けた健太の目に飛び込んできたのは「忘れてもいいよ」の一言

最後の最後のとし子の健太への重たく切ないメッセージである

もちろん若くして死を迎える物語であるから涙なしでは見られない
でもそれだけではない
いろいろと不思議な思いにかられる映画である

小説は読んでいないが、大林監督は重松さんの文学的に表現された世界を映画の創造力による表現に置き換えてみようとチャレンジしてみたのではないだろうか
大林独自の映像の世界を創り出している

宮沢 賢治の世界がたびたび画像となって現れてファンタジーの世界に誘う
生と死との境目を独特の映像でつないでいく

どこかで観たような映像だなと思ったら、20年くらい前になるのだろうか,
好評を博した「異人たちとの夏」の映像に似ていることを思い出した
映画を観終わってからこの映画の脚本は「異人たちとの夏」の脚本家であった
ことを知った

この映画を観て、毎日のさりげない日常生活の大切さというものを改めて感じさせられた
人は自分が今生きているということを実感しながら生きているのでなければ生きているとはいえないのではないか
生きているということを忘れて生きていないだろうか

この映画の登場人物は自分が死ぬということを知ってしまった人
だから今を切実に生きようとする
その必死に生きようとする姿や心の風景を温かく、切なく描き出す

死ぬ悲しみ、苦しみよりも、生きる喜びを与えてくれる作品である


2009.01.03:choro:count(1,272):[メモ/映画]
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