年だからでなく年がいもなく

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『「向老学」重要に』と題して、上野 千鶴子は述べている

「老年学」と「向老学」は違う
「老年学」が「老い」を客体として扱う学際研究であるのに対し、「向老学」
は、「老い」を主体として経験する当事者研修の一種である

「向老学」は、老いに抵抗し、立ち向かうための学問ではなく、老いを受容し
肯定するための思想であり、学問である

思えば、これまで「老いる」という経験については、あまり私達は語ってこ
なかったし、知ってこなかったのではないだろうか?

なかでも「もしぼけたら・・・」の恐怖は強い。驚くのは、最近になって認知
症当時者による発言が増えたことである


「私のことは私に聞いて」と言う患者の言葉に耳傾けると、認知症患者が何に
パニックを感じ、何にどう反応するかがわかる

当時者研究が始まってみると、知らないことだらけ。専門家が当事者に学ぶ面
白い時代がやってきた

▲「向老学」という学問領域があるとは知りませんでした
「向老学」の定義は、なるほどと思います

▲ 『「老いる」という経験については、あまり語ってこなかった、知ってこ
なかった』という指摘にも、そうだ、とうなづけます

▲ NHKのテレビに認知症のお年寄りの発言が大きく取り上げられたり、がん患
者が病院やDrに向かって発言している映像が映し出されるようになりまし

Drは今になって患者から学ぶということをはじめたのです

お年よりも、終焉の場から、今までに無いメッセージを発していきたいもの
です

2008.09.12:choro:count(2,630):[メモ/キャリア]
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60才からの悠々充実人生
七面倒な定義やこじつけは学問領域になるとしかたのないことか。全ては現状肯定で自分の選択や意志が覚束ない時はサムシンググレートがその選択を決定してくれる。
命の再生や輪廻のために一番良い選択をサムシンググレートがしてくれている。「俺だけがどうしてこんな貧乏くじを引くのだ。」なんて決して思うな!
現世の中でも70,80歳になって、はじめてあの頃のあの苦難が在ったから今があるのだなと思えることが沢山ある。
霊的な命を永遠のものと見るならほんの100年の苦楽で自分の人生の価値を評価するな。
2009.01.29:大仏太郎:URL修正削除
素晴らしい境地
高い境地に達しておられて素晴らしいですね
私も2つの種類のガンを患ってみて、ガンなったことの受け止め方や今後の生き方についていろいろ考えております
大きな視点から前向きに考えようと努めておりますがなかなか思うようにはまいりません
でもその努力は続けていくつもりです

サムシンググレートというのは村上先生の言葉ですね
2009.01.30:長朗:修正削除
▼コメントはこちら 勉強会でも飲み会でもいいですから、皆さんでお話あいしてみたいですね 面白い意見が出てきそうです

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