年だからでなく年がいもなく

年だからでなく年がいもなく
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先日、故郷秋田で小学校時代の同級会を開催しました
3年前に50余年ぶりに開催し、その後3回開催してきました
今回は昼食会というスタイルでの同級会でした
先生を含めて総勢12名(男6、女6)
先生は85歳になりますがお元気です
立派に挨拶をされたあともグッドタイミングで話を挟みます(お耳も達者なのです)
小学校が開校120年記念という話を耳にした先生、すっと立ち上がって突然校歌を歌いだしました
一番をまるまる大きな声で歌いきりました
先生、歌い終わって気がつきました
「あ!これは旧制中学校の校歌だった」!  と
爆笑、爆笑、ブラボーおらが先生!

7階の窓から千秋公園が一望できました
それを御覧になって、先生は語りだしました
先生をしていた満州からソ連へ送られて3年間抑留され、ようやく帰還ができて秋田へ着いたその時、人ごみを避けて一人駅裏から千秋公園に向かい、街並みを眺めて涙にくれたお話

68歳の男女11名、胸でしっかりと受け止めました

一人ひとりのお話も会を重ねるに連れて深く広くなってきました
義理の親を6年から8年介護をし、無事看取ることができた
それを終えたときから夫の態度が変わってきた
今が私の青春時代    などなど  

小学生時代の貧しさも話に出るようになりました
高校にいけなくてぐれかかったとか・・・

今だから自分を見つめなおして、自分のことを素直に語れるようになったのでしょう、聞けるようになったのでしょう
自分だけが難儀したわけではないんだ
人の話のなかに自分が映っている、自分が見える

そんな濃密な小時を過ごしているうちに、お互いに対する新たな懐かしさがこみあげ新たな感情がわいてきます
不思議な元気をもらいます

たかが同級会、されど同級会 です

2008.06.23:choro:count(2,111):[メモ/生活]
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たかが同級会、されど…
85歳になられる先生がお達者でなによりですね。とても羨ましいです。
私の恩師が急逝して、ちょうど20年が経ちました。お元気だったら還暦です。一週間前に開催された同窓会総会に亡くなられた先生の奥様をお招きしたら快く出席してくださって…きっと先生も奥様と共に私達に逢いに来てくれたことでしょう。
次の当番幹事はまた20年後。私達の記憶の中の先生は若いままですが、堂々と出席できるよう背筋を伸ばし、生きて、暮らしていこうと思うのです。
旧友を通して自分を投影した想いがした同窓会でした。
2008.06.23:ひだまり:修正削除
わたしもそろそろやりますか
情景が目に浮かぶ、よいお話ですね。

わたしの場合、42歳の厄払いのときに中学校(兼小学校)の同級会をやりました。会場を間違え、別なホテルに、、、慌てて駆けつけるも途中からの参加となって、集合写真には写ってません。その後、数年のときが流れ、気づいたら私が幹事役の番。
そろそろ、やりますか同級会。

2008.06.23:ムーミンパパ:修正削除
されど同級会
ムーミンパパさん、ひだまりさんの同級会の幹事は当番制なのですね
それが普通ですよね
私の場合は「言いだしっぺ」でもありましたので今のところ幹事はすべて私になっております
負担は大きくなりますが、同級会に掛ける「想い」の軸はしっかりしていきます
軸をもとにしてコンセプトを作って企画演出をして行けます
懐かしさを売りにする同級会だけではもったいないような気がするのです
特にゴールが見えてきた熟成同級会には
手前味噌の同級会談義ですが・・・
2008.06.23:長朗:修正削除
▼コメントはこちら 勉強会でも飲み会でもいいですから、皆さんでお話あいしてみたいですね 面白い意見が出てきそうです

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