choro note

▼映画「武士の家計簿」

歴史教養書を森田芳光監督が映画化した作品
時代劇といってもチャンバラシーンが全くない
侍の世界をそろばん中心に描いている異色時代劇である

時代は幕末から明治維新という激動の時代
8代続く加賀藩の代々御算用者という家柄の猪山家の物語
御算用者というのはそろばんを弾いて帳簿を付けることを仕事としている下級武士のことである
その猪山家の3代にわたる御算用者としての生き方が、父の代を中心として描かれる

祖父が逼迫した藩の財政立て直しに貢献し認められ禄高が少しばかり増えたが暮らし向きは楽ではなかった
父は「そろばん馬鹿」と言われるくらい愚直にそろばん一筋で奉公に励み、祖父以上に認められて地位も上がったのだが生活は相変わらず厳しい

嫁をもらい長男が生まれて成長し、長男を武士として披露をする式宴を催すこととなったが、猪山家は借金だらけで式宴費がないことが父親のそろばんで判明
そこで父が選んだのは借金よりも一時の恥

そのワンシーンがテレビなどで紹介された鯛の代わりの絵に書いた「絵鯛」である
さらに父は家の財政を立て直すために、祖母、父母、嫁を口説いて売れるものはすべて売り払って借金を少なくする
今でいう「断捨離」の強行である

借金を返すために節約に次ぐ節約の生活を始めることとし、家計簿づけをまだ幼い長男に行わせるのである
父親は家の財政の立て直しを図りながら、息子にそろばんという仕事を通して藩に仕えることと今でいう財務管理を学ばせるのである

父と息子はそろばんと人情という面などで対立する場面もあったが、息子は財務管理の術を身につけていった
そして息子は訪れた明治維新のなかで、親子の敵方である新政府の海軍の会計担当という重責を担うことになるのである

129分という長い映画である
ドラマチックな場面のない映画であるので、中だるみがしないでもないが、その間いろいろ考えたり、思い浮かべたりしながら映画を観ていた

この映画は時代劇とはいうが、現代劇ともいえる映画である
御算用者という現代でいえば経理部門のサリーマン物語として観ることができる
今でも良く見聞きする内部告発や上司との軋轢が登場して、サリーマンを40余年もやってきた者として身につまされる
100名以上の御算用者たちが一堂に会して、一斉にそろばんを弾きだす姿は異様であり物悲しい

夫と妻との夫婦愛物語ともいえる
そろばん一筋に愚直に生きる下級武士の夫に、献身的に仕える凛とした妻の姿は感動的である
「亭主不在で留守がいい」とは別世界
夫を堺 雅人、妻を仲間 由起恵が演じているが適役である
特に仲間は森監督がこの人!と思い込んで決めたキャストなだけあって好演

家族映画でもある
食事風景は必ず家族全員がそろって御膳の前に座っている
会話を交わしながら旬のものを愛でながら食べる
御膳の上をみると一汁一菜のような粗末な献立。メタボの心配はない
戦後間もなくまでどこの家でも行われていた丸いちゃぶ台を囲んでの食事風景を思い出す
朝、父子がそれぞれの嫁から愛妻弁当を貰って登城する情景は今のサリーマンの出勤の姿にダブル

親と子の映画とも観れる
父親はそろばんを弾く後ろ姿を通して仕事を教え込むだけでなく人としての生き方も学ばせる
時には母親ともいさかいながらも幼い子に厳しく教え込む

そんな場面を見ていると、ふと自分はサリーマン生活を通して子供たちに何も教えてこなかったことを思い浮かべる
忙しさに逃れて、子供たちに生き方について、父親らしいことをしないままであったことを悔やんでしまう

幕末から明治維新への時代であるが、映画を観ながら懐かしさと時代の近さを感じた
釜戸の場面を観ると、戦後の我が家にも釜戸があって、火拭き火お越しをさせられたことを思い出す
天井からつるした綱につかまってお産をする場面を観ると、母親も同じようにして自分を生んだ話を思い出す

幕末、明治はそう遠い時代ではないのだ
当時の世の中には、日本人としての良さを沢山身につけていた人たちが日々の暮らしを営んでいたに違いない

戦後というよりも高度成長の時代から、日本社会はおかしくなったのかもしれない
そんなことまで考えさせるこの映画は平凡な映画のようで非凡な映画かもしれない

2010.12.12:choro
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