choro note
▼高く手を振る日
黒井 千次 新潮社
高齢者社会になって老人のセックスや恋愛が社会的現象として取り上げられた時期があったが一部の特殊な老人の話だろうという思いで受け止めていた
老人の恋愛についてはゲーテや良寛さんの老いてからの恋愛話を見聞きしても、偉人だからあり得たことくらいにしか思っていなかった
先日寂聴さんの講話の録音を聞いているなかで二つの話が印象に残った
一つは身の上相談のなかに熟年老人からの恋愛相談が増えてきているということ
寂聴さんの口を衝いて出る、老いても煩悩の苦しみに身を焦がす熟女の話は身近な話として生々しく伝わってくる
二つ目は社会主義者、荒畑寒村氏についての話である
寒村氏は90歳の時熱烈な恋をしたそうである
そのときの思いを、当時尼になっていた寂聴さんに告解するようにこう語ったという
「性欲がない分救われたが、その分嫉妬心では5倍苦しめられた」と
寂聴さんはその言葉を聞いて、90歳にもなって瑞々しい恋ができる荒畑さんに対して尊敬の念を持ったと述べている
そうか、老人にも恋愛感情があるんだ、90歳になっても恋ができるのか、と思っているときに出くわしたのかこの本である
この本は高齢者の恋愛小説である
主人公は20年くらい前に妻を亡くした70年代半ばを過ぎた高齢男性と思われる
大学時代の同じゼミの男性の葬式会場で、ゼミで一緒だった女性と再会する
主人公の男性の妻も同じゼミ生であった
主人公の男性と葬式で出会った女性とは、学生時代衝動的に一度だけ口づけを交わしたことがある
葬儀会場で出会った数年後、出会いの機会があり交際が始まる
交際が次第に男と女の付き合いになり、「茶飲み友達」ではなくなる
女性が別れを告げに来た男性宅で抱擁と口付けを交わす
最後は女性が同居していた息子家族がロンドン転勤になり、老人ホームに入らなければいけなくなったことで終わる
葬儀会場で40年余ぶりに再開したときからの熟年男性の心のときめき、心遣い、心の痛みなど抑えた筆遣いで丁寧に描いている
70年代半ばを過ぎた男女間の恋愛感情を瑞々しい表現で書き表していて、せつなさ、愛おしさが伝わってくる
今では中学生、高校生も忘れかけている純粋な恋愛感情ともいえる
男性が女性との通信用にと携帯を買い求め、使い始めるときの怖れや不安の感じ、メールでの言葉選びや返事を待つまでの微妙な心の揺れうごきなども高齢読者には身近に感じられる
最後の別れのときの接吻と抱擁の場面は、著者自身が高齢者ならではの描写である
「行き止まり」を意識し始めた高齢者の精一杯の接吻と抱擁なのだ
読んでいるうちにいつしか引き込まれ、切なさや愛しさの感情を共有している
高齢者の年甲斐もない恋愛というよりも、忘れてしまった純粋な恋愛感情を呼び覚ましてくれる
終わりが、女性の老人ホーム行きで断ち切られているのも救いになる
死ぬまで男と女であり続けることができれば幸せである
お互いに年輪を刻んだ美しさのようなものを感じていければ幸いである
画像 (小 中 大)
2010.11.16:choro
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