choro note
▼女房の誕生日祝い
14日は女房の誕生日だった
女房とは同じ年の生まれなので、69歳になる
同じ年の生まれだからといってどうということは無いが、昔のテレビ映像などを一緒に見ているとき、「この年は○○歳で何年生であったね、」などととっさに話題を膨らましていける便利さはある
朝から娘が電話で「今晩はどこへ行くの?」と牽制球を投げてよこす
前から決めていた近所の居酒屋風レストランへ行くことにした
行きつけの店よりも歩いて10分くらい遠いところにあるので敬遠していた店である
入ってみると照明が落ちついていてしゃれた感じのする店である
創作料理とうたっているので、食べ慣れないものを探して注文してみる
それも孫たちが食べそうなものを
まずはビールで乾杯
いつもの通り早速携帯で女房の乾杯姿の写真をとって子供たち3人に送る
すぐ返事が来る
親へのメールを見た孫娘は「じいちゃん、うちが行ったときその店でごちそうしてね。絶対食べに行くよ。今晩を楽しんでね」とちゃっかりRe(返信)
嫁さんの一人からは「69歳とは思えないくらい若くて奥様で羨ましいです(私たちも鼻がたかいです)第2の人生も良いものですね」という女房にとっては過分なるメールであるが、姑としては悪い気がしないだろう
たかが誕生日祝い、されど誕生日祝い、である
離れ離れになった家族が小さな家族のイベントを契機にして関わっていくことは大事なこと
誕生日祝いの小さな行事などを通して家族の絆つくりの大事さを孫たちの世代へ植えつけていけるのはじいじい、ばあばあの役割なのかもしれない
現役時代は仕事にかまけて子供の誕生日もろくに祝ってやれなかった父親としては、遅まきながらも家族の誕生日祝いに参加できるということはラッキーである
「老後を生きる力は、趣味や仕事だけから生まれるものではない、伴侶が健全ならお互いに年を取って毎日を平凡に平安に歩いていくこと。それ以上の幸せはない」などと退職予定者を前にして偉そうには話しているが、最近本当にそう思うようになってきた
平凡、平安なかに生きている喜び、幸せがあると思う
全員のメールに「今晩はじいじいのおごりですよね」という言葉があった
喜んで払わせてもらった
こんな幸せを感じられるのだから
2009.07.14:choro
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