choro note

▼年だから・・・?

五木寛之さんはある雑誌に次のように書いている

『老人というものは、若者から嫌われると覚悟したほうがいい。どんなに若作りをして溶け込もうとしても、それは若者の迷惑になるだけ。そのときには彼らは楽しそうに付き合ってくれますが、別れた後には「ああ、疲れた。爺さんにサービスするのも疲れるよな」と若者たちは言い合っている。それが現実で、当たり前のことなのです。それを勘違いして、自分はまだまだ若いんだと糠喜びしている。何とも惨めなことだと思います。』

先日セミナーを受講するために上京した。せっかくの上京なので元同僚に連絡してみた
元同僚といても30代の女性A子である
A子は「B子も一緒に泊まってもらうから家に泊まって」という
「家」といっても一人暮らしのマンション。 泊まることにした

夕食会はA子B子に元部下のC子とD夫の4人。C子とD夫は社内結婚である
久しぶりの出会いだったので2時間ほど時の経つのを忘れて語り合った

会食が終わろうとするときC子が「ところで長山さんどこへ泊まるの?」と聞く
A子は「家のマンションよ」と言った。そのとたんB子は「あれ!泊まりの準備するのを忘れてきてしまった!」と言い出した
それはまずい!なーと思い、とっさに「いいよ!これからホテルを探すから」と言ってみた
「もう年なんだから・・・」と思ったりしたが、ここは格好つけて見栄をはる

B子は携帯を取り出してなにやら電話しだした。親への電話だった。B子はまだ独身で親と同居しているのである。結局B子も泊まることになった

B子は途中のコンビニで下着を買い、マンションに着いてから出勤用のシャツとスカートをA子の衣装のなから選んだ。A子とB子は体型が一緒だった
3人でしゃべりまくっていたら時計は12時を過ぎていた

34年間の営業職を終えて最後の6年間は研修の仕事に携わった
A子たちとはそこで知り合った
パソコンなど1から親切に教えてもらった。個人的にサービス残業もしてもらった

よく集まっては食事会をして旅行の話や映画の話をした
当時東南アジア主体の一人旅をしていたし、映画を月7.8本は観ていたので話のネタはあったが人生相談のようなものもあったかも知れない

今にして思うとA子たちから会社人間としての縦社社会のなかで身につけた垢を落としてもらい、硬くなっていた心をやわらかくしてもらったのである
おかげで定年後の生活へのソフトランデングできた

定年退職後にA子とB子は連れ立って仙台に遊びに来て我が家に泊まってくれた
女房と子供たちにとっては会社人間の権化のような親父が若い女性と話をしたり、その女性たちが家まで遊びに来るということは想像もつかないことだったはず
そんな会社人間の父親が家庭の中に「居場所」を作れたとするならば、彼女たちのお陰である
現役時代を含めて感謝、感謝である

五木寛之さんはさらに続けて書いている
『青春とは心の持ち方だ:という人もいますが、それはうそです。心の持ち方などでは決して補えない衰えがそこにはある。その現実をしっかり見据えることが大切ではないかと思うのです』

若作りをして溶け込もうという気持ちはないし自分はまだ若いからと糠喜びする気もない
心身の衰えを感じながら受け止めているつもりである

曽根綾子さんは「人生の後半をひとりで生きる言葉」に次のような言葉を書いている

『人は与えるからこそ、大人になり、おいぼれではなく青年であり続けるのである』

『60になっても、80になっても、その人らしい人間の面白さが出せなければ、その人はただ古びていっているだけということになる。中年になり次いで老年になる技術というものは、考えてみるとなかなか味のあるものらしい。』

彼女たちとの関係のなかでこれからの自分にとってできることは「もし自分が若い人たちに何かを与え得るような人間であるとすれば、これからも与えるものを身に着けていくことと、70代80代になっても自分は自分らしく生き続ける」ということ

あとは「像の背中」の心持を忘れずに生き抜くだけ

※「像の背中」9月中旬に上映が予定されている映画
 「像は自らの死期を察知したとき群れから離れて・・・」の心持


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