choro note

▼「楽しみは」 ー 2

○ 新井氏は本書の52首の和歌を11のジャンルに分類し、全首に自由訳をほどこし「幸せ感」のイメージと形を明快にしている

11のジャンルとは下記の通り
  @孤独平安を楽しむ A家族団欒 B食 C貧乏生活 D読書 E書画と歌  F買物 G友との交流 H日本国に生まれたこと Iささやかな変化を楽し
む  J野山歩き

52首をこの11のジャンルに分けて掲載し、自由訳をつけ、この本が読者にとって“幸福へのガイドブック”になることを切望しているとも述べている

○ 第4章に『「独楽吟」の生き方をすれば、あなたもまちがいなく幸せになれる』という題で次のように述べている

貧しい日常生活のあちらこちらに小さな喜び楽しみを発見し
<ああ、しあわせだなあ・・・>
<生きていて良かったなあ・・・>
と言う感動を和歌にしたのだ。その素直なうたいっぷりが、なんともいえず良いのである
疲れたとき腹が立ったとき、苦しいときに悲しいことがあったとき、私は「独楽吟」をひもとくことにしている
私にとって「独楽吟」は、元気の素なのである。勇気と希望と幸せさがしの、ヒントの宝庫なのであ 


○ 貧乏について
ないことを悔やむのではなく、あることに感謝しよう、と言う考えが浮かび上がってくる

○ かすかな変化について
日常生活には、ささやかな変化がつねに生まれては消えてゆく。その変化をいち早くキャッチするのは5感なのでる。目、耳、鼻、舌、肌ざわりなど、5感を全開にして日々を生きたいものである
常に5感を全開にしてかすかな変化を見逃さない

○ 1人について
曙覧は、“1人を楽しむ”達人であった
定職と定収入のない曙覧にお金や物はなかったが、時間だけはありあまるほどあった。それはどのように使ってもよい“自由な時間”であった
その時間を使って、曙覧は学問にはげんだ。読書した。和歌を作った。“書”を書いた
“好きな時に好きなことをして生きる”
簡単なことである。いくらかの覚悟は必要だが、本日ただ今から実行することができる

○ 友人について
“1人”を楽しむことのできる者だけが、はじめて“2人”をも楽しむことができる
 
「ほしかるは 語りあはるる 友1人 見るべき山水 ただ一ところ」

欲しいもの。それはまず心底から語りあえる友1人、それから自然の美しい風景が見られる場所一ヵ所・・・と言う歌

○ 家族団欒について
家族団欒は、曙覧が考えていた幸福論の中心をなしていた
風邪などひかず、家族が1人のこらず健康であること。これが基本中の基本であった
どれほどお金があっても、病気では使うこともできない
貧しくても、3人の子供たち(女子3人を亡くした後恵まれた)が健康ですくすく育ってくれるなら、もう十分なのである
 その上に、たまには買い求めた魚の料理を子供たちが「おいしい、おいしい」と言いながら食べてくれたならば、これ以上の幸せはないと曙覧は言い切るのである

○ 新井さんが、独楽吟から1首をとるとすれば
「 たのしみは 庭にうえたる 春秋の 花のさかりに あへる時時 」だそうである
独楽吟の幸せさがしは、この1首から始まり、この1首できわまるのではかろうか、と述べている

この歌の著者の自由訳
「すっかり老いさらばえてしまった私のいのちではあるが、なんとか永らえて、今年も花のさかりに間に合うことができた
ありがたいなあ。自分はまだ生きているのだ。まだ死んではいないのだ
生きている。ただそれだけで、幸せな気分になるよな・・・
今日は、そんなふうに解釈してみた」



2009.05.21:choro

HOME

(C)

powered by samidare