choro note
▼花のさかり
庭の花がいっせいに咲いた
居間から見えるのがこのボタン
毎朝カーテンを開けると、これ見よがしに妖艶な姿を見せ付ける
毎年同じように咲いていたのに
そのあでやかさに心奪われることは少なかった
「独楽吟」という歌集に次のような歌がある
「 たのしみは 庭にうえたる 春秋の 花のさかりに あへる時時 」
「楽しみは」という本を書いた新井満さんという方はこの歌をこのように訳している
「すっかり老いさらばえてしまった私のいのちではあるが、なんとか永らえて、今年も花のさかりに間に合うことができた
ありがたいなあ。自分はまだ生きているのだ。まだ死んではいないのだ
生きている。ただそれだけで、幸せな気分になるよな・・・」
うーん、なるほど!
さすが作家、作詞作曲家、写真家、環境映像プロデューサーでそして「千の風になって」の作者
私が気がついていない思いまで掘り起こして表現してくれている
膵臓がんを宣告されて病院を出るとき、外の景色がまぶしくて白っぽく見えた
そして目にした草木の色がものすごく艶やかに目に飛び込んできた
がんを宣告された人は、一様に同じことをいう
がんになったお陰で、庭に咲く花を「どきり」としながら見ることができるようになったのかも知れない
来年もまたその艶やかな姿を見たいものである
画像 (小 中 大)
2009.05.08:choro
[2009.05.10]
明日がないさ (長朗)
⇒HOME
(C)
powered by samidare