choro note

▼がん哲学外来の話―10

○『「死」はまわりの人間を成長させる』

身のまわりで見てきた「死」を振り返ると、まさに天から授かった指名や役割を果たして亡くなったと思うことがあるからです。仕事や社会的な役割ではなく、多くは周りの人間に対する役割です
 死はまわりの人間を大きく成長させます。家族を、そして親しい友人や知人、さらに医師や看護師も大きな学びを受け取ります

がん闘病は家族の結束を強め、絆を深めます。勝手気ままだった子供でも自分も家族を支えなければと協力する。人間として大きく成長するのです

▲まず日常生活の中で、自らが成長していることの確認と喜びを味わいたい
夫して、親として、祖父として、身内として、仲間として、求められている役割は何んなのか
それらを意識し、その役割を果たす方向で生きていきたい
死を前にしての周りの人間に対して何ができるかということは・・・そのときになって考えてみたい

●終わりに

簡単に紹介するつもりが、本の重さに引きずられて長くなってしまった

がん患者の1人として、著者が述べるがん患者としての哲学的思考とその実践については共鳴するところが多く、勇気付けられた(だから投稿が10回まで続けてしまった)

しかし著者はがん病理研究者として、「がん細胞で起こることは、人間社会でも必ず起こる」(吉田富三)という視点から説き起こしているといいながら、その視点からの論述は必ずしも印象に残らない

がん研究者として、がんという病を抱えている患者に対する独自の哲学的メッセージを期待したのだが、この本に述べられている内容は、がん患者というよりも人間すべてにあてはまる哲学といえるのではないか

著者はがん病理学者の視点を超えて、1人の哲学者として、ときには宗教的なバックボーン感じさせる論調で人間の生き方をについて述べているような印象を強くしたのである

そして思ったことはこの本の内容は、がん患者に対してだけでなく、がんに携わる医師集団にも向けられるべきではないだろうか、ということ

病気は見ても人間としての患者を見ていない医師たち、データーは見ていても、患者の生き方には関心を持っていない医師たちに、この本が述べる「がん哲学」を身につけてもらいたいものである

『「がん哲学=生物学の法則+人間学の法則」であるとすれば、がん哲学者は、高度な専門知識(がん学)と幅広い教養(哲学)を兼ね備えた人物のことである
視野狭窄に陥らず、複眼の思考を重ね、教養を深め、時代を読む「具眼の士」であることが必須である』とある新聞に紹介されていた

がん患者はそのようながん哲学者医師が1人でも多く誕生することを期待している

新聞に医学部の学生を理系だけでなく文系からも募集したらどうかという意見があった
がん難民時代といわれる今、患者の1人としてこの意見に賛同したい


2009.04.09:choro

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