choro note
▼「あと3ヶ月死への準備日記」・(U)(文藝春秋 9月号)
○ しかし、何とか死の恐れを克服する、言ってみれば諦めの境地はないのだ
ろうか。そのような境地を無論見つけてはいませんが、上の理由を克服す
る諦めの考えが一つ二つ思い浮かぶことがあります
・幸い子ども達が立派に成長した。親から貰った遺伝子の一部を次の世代に引
き継ぐことができた。「時間とともに進む世界でほんの少しだが痕跡を残し
て消える」ことになるが、種の保存にささやかな貢献をすることができた
・もっとニヘルになることもある。私にとって、早い死といっても、健常者と
比べて10年から20年の違いではないか。みなと一緒だ、恐れるほどのことは
ない
・さらにニヘルに、宇宙や万物は、何もないところから生成し、そして、いず
れは消滅・死を迎える。遠い未来の話だが、「自分の命が消滅した後でも世
界は何事も無く進んでいく」が、決してそれが永遠に続くことはない。いず
れは万物も死に絶えるのだから、死を恐れることはない
あとの二つはちょっと情けない考えですが、一蓮托生の哲学によって気が休
まります
△ 諦めの考えは必要なのでしょうか。余命宣告されれば宇宙や万物のことな
ど考えられるようになるのでしょうか
死を難しく考えないで、素直に受け入れて、そのまま生きていくというこ
とはできないことでしょうか
○ 戸塚氏のブログに「ステージ4大腸患者」氏からコメントが入る
『なぜ超然と自分の病状を見つめられるか』という問である
戸塚氏は次のようにこたえている
私ももちろん「今後の事を恐れるばかり」の時期があり、今も無論あります。
この「恐れ」に自分なりの対処をすることに必死になって努力しています
まず根底にある考えは、「恥ずかしい死に方をしたくない」が出発点でした
弱い人間ですから、やることは簡単です(難しいですが)
@「恐れ」の考えを徹底的に避ける。ちょっとでも恐れが浮かんだら他の考え
に強制的に変える
A「自己の死」の考えが浮かんだら他の考えに強制的に変える。死は自分だけ
に来るのではない。すべての人間にくる。年齢にもよるが、死の訪れは、
高々10〜20年の差だ。その間の世界がどうしても生きて見なければならな
い価値があるとは思わない
B 自分が「がん」になった理由はすべて自分にある(私の場合は)。自分以
外を決して恨まない
C まだできなくて困っていることが一つ。妻につい愚痴を言ってしまい、彼
女を精神的に追い詰めてしまう。これを克服しなければ
以上です。あとは、各項目について具体的に何をするか、です。実は私にと
ってこれらの具体的行動は修行の一種です(ちょっと非科学的臭いがしす)
人によってやるべきことはまったく違うと思います。後日から細々と書きた
いのは、私の個人的アクションです。ご参考になるかどうか。
△ Bはそう思います。Cはまだそこまで追い詰められていませんが、そうな
らないようにしていくしかありません
@Aはできることなのでしょうか。恐れにのたうちまわっている間にお迎
えが来てくれるのではないでしょうか
▲ △は余命いくばくと宣告されたとき大きく変るかもしれません
どのように変るのかはその時になってみなければわからないこと
2008.11.19:choro
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